これまでに見てきた天上界、転生界、地獄界の3つの世界は、そのいずれも、私たちの観いが投影されてできた世界であり、法則によって秩序を保ち続けている世界でした。
私たちが現に生きているこの地上界にもまた、法則があります。地上界と死後の世界とで、それぞれ別の法則が存在するわけではありません。大自然の法則は常にひとつです。地上界にしても死後の世界にしても、寸分たがわぬ法則が、なんら変わることなく私たちに働きかけています。
私たちがいま生きているこの世界でも、人間は自分の「観い」に描いた通りの人生を歩むことになります。今あなたが見ている現実は、これまでのあなたの「観い」が現象化されたものにすぎません。自分が「観い」に描いたとおりのフィルムの一コマが、正確に放映された結果が、今この瞬間です。今の現実を選んだのは、あなた自身なのです。
もし今、なんらかの問題を抱え逆境のなかに立たされているのであれば、真っ先にやらなければいけないことは、自らの「観い」を正すことです。今すぐに苦の刻みを捨て去り、よろこびの「観い」を源かせることです。
それができれば、見えない明日におびえることは、もうなくなります。私たちの「観い」と無関係に起きる事件や事故は、何ひとつとして存在しません。すべては「観い」の内に、その意味を与えられています。そうであるならば、この世界に解決できない問題など、何ひとつとして存在するわけがありません。
「観い」を正すことは、人間であれば誰にでもできることです。その瞬間に、あらゆる災いは消える定めにあります。「観い」の中にこそ、あらゆる問題を解決する力が眠っているのです。そう考えれば、この世に苦しいと感じるような問題はなにひとつ存在しないことがわかってきます。
一つひとつの現象を通じ、私たちが勝手に苦しいと感じるからこそ、苦が生じているだけなのです。苦しみは、自分という存在を離れて外にあるのではなく、自分の頭の中に息づいているだけの存在です。つまりは苦を感じるも感じないも、それはもっぱら自分自身の選択によるということです。
私たちは水たまりに落ちたとき、服や身体が濡れるのを感じ不快感をもちます。しかし、魚はどうでしょう。魚は自分が濡れているとは感じていないはずです。
苦を感じるも感じないも、こうした現象とよく似ています。苦しい現象のなかにあっても、そのことで苦を刻むことなく、平然とよろこびを源かせるとき、あらゆる苦悩は解決に向かって進み出します。その繰り返しが、私たちを人間完成へと導くのです。
ただ、勘違いしてはいけないのは、苦を苦としないために「考え方を変えるべきだ」と言っているのではありません。心理学でいうプラス思考で救われるほど、人生は安易ではありません。考え方を変えたところで、現実が変わるわけではありません。いくらよろこんだと思ったところで、それが意識のレベルに留まり、無意識である「観い」にまで届かないのであれば、やはり現実は動きません。
しかし、「観い」がよろこびそのものになったときには、現実はドラマチックに移り変わっていきます。もはや人知では出口を見出すことのできなかった問題であろうとも、「観い」のなかには不可能を可能にするだけの無限のパワーが宿っています。救いは自らの中にあります。自分以外のなにものかに助けを求める必要など本来なくてすむように、私たちはこの世に生まれついています。
健康も、繁栄も、安らぎも、そのすべては「観い」のなかにはじめから備えられていたのです。