◇9.地獄界とは

地獄の最下層に位置する生命体

地獄界333段階の下から数えて3分の1に当たる世界、つまり転生界に一番近い階を1階とすると、222階よりも下の世界ですが、ここは地獄界の最下層であり、一度この世界に落ちてしまったなら、人間として生まれ変わることは半永久的に絶望となります。

地獄の最下層に行く可能性が高いのは、以下の7つのどれかに当てはまる場合です。

1、自殺により人生を終えた

2、不慮の事故などで突然命を落とした

3、ノイローゼや脳死など、自分を見失ったまま死んだ

4、もがき苦しんだ状態で死んだ

5、血液の病気で死んだ

6、水子自身、そして流産、死産を繰り返した

7、霊能者としてみだりに霊と接触したもの

7つの項目のうち、その責任がもっとも問われるのは自殺です。せっかく与えられた修行の場で、まがりなりにも人生をやり終え、それでも人間完成に至らず留年、あるいは落第するのなら、まだ救いはあります。

しかし、自殺とは、途中で一方的に試験を放棄するわけであり、いわば人間失格です。自殺した人にしても、すでに何度も人生を繰り返し、そのたびに転生界へ行き、はるかな時間をかけて再び与えられた人生であったはずです。今度こそ人間を完成させ、天上界へ行こうと誓ってこの世に誕生したに違いありません。ところがいざ人間として地上に送り出されてみると、肉体次元の欲望に負け、目の前の現象に振り回され続け、結局途中で人生を投げ出してしまう。

これでは今までの修行がなんのためだったのかわかりません。もはや、地獄の最下層しか自分の行き場所はありません。どんな大義名分があろうと、自然の法則は手加減をしてくれません。理由の如何を問わず、結果的に自殺を遂げてしまったならば、地獄の最下層行きは免れません。

自殺と同様に、自然の法則に反する行為として人工中絶があります。

日本の場合、母体保護法により妊娠22週未満であれば人工中絶は罪にはなりません。社会的に見ても、ことさら中絶に目くじらを立てるような風潮はありません。しかし、ここでも人間の作り上げた価値観と法則との間には、大きな溝が横たわっています。法則から見たならば、どんな理由があるにせよ、母体の胎内にいるときにその生命を止めるのであれば、立派な殺人なのです。なぜなら人間としての修行は、母親の胎内に宿り、心臓が動き始めたときからスタートしているからなのです。

胎内にいるときから心臓が動くたびに「おもい」は確実に刻まれています。にもかかわらず、大切な生命体の修行をいきなり断ち切るのであれば、深い業を負うことになります。水子の生命体にしても、人間としての生命を与えられる前に、はるかな時間をかけ転生界で修行を積んできたことは、私たちとなんら変わりはありません。そうしてようやく人間として命を授かったと思いよろこんだのも束の間、突如命を絶たれるのでは、今までの長い修行が何のためだったのかわからなくなります。

7つ目の霊能者については不思議に思われるかもしれませんが、霊能者というのは人間の本来あるべき姿とは大きく外れた存在です。肉体を持って生まれてきた私たちは、本来霊とのコンタクトはできないようになっています。私たちがよく口にする「霊」とは、本来の意味である肉体を離れた生命体すべてを指しているのではありません。転生界か地獄界に行くべき生命体が、未だにこの世に執着を残し、さ迷うことがたまにあります。行き場所を見失いながらさ迷うマイナス波動を伴ったこれらの生命体を指して、私たちは「霊」と呼んでいるにすぎないのです。

私たちが過度の苦を刻むこともなく、肉体も生命体もともに健康な生活をしているのであれば、本来霊は見えるものではなく、影響を受けることもない存在と言えます。霊とはマイナス波動を帯びた弱い生命体にすぎないので、彼らの生命体よりも、通常の人間の生命体のほうがかなり強いのですから、本来霊障などありえないことなのです。

それなのに霊が見えたりするようでは問題です。霊が見えるのは、霊と通じ合う似たような低い「おもい」を持っているからなのです。つまり、その人の生命体もまた多くのマイナス波動を帯びている証拠です。