◇5.「観い」とはなにか

「観い」が先、結果が後

運命、あるいは宿命という概念がありますが、〝これは定められた運命なのだ〟と人が感じる事象のことごとくが、実は「おもい」によって生じます。

「運命的な出会い?」あるいは「苦労を背負う宿命?」。いえいえ、それらは実は運命でも宿命でもなく、「おもい」によって創られた現象であるにすぎないのです。

人は一分一秒休むことなく、よろこびか苦を、言い換えればプラスかマイナスの「おもい」を刻んでいます。その「おもい」は、心臓が1回鼓動を打つたびに、あたかも1コマ1コマ撮影されるかのように記録されます。そうやって撮影されたフィルムこそが、誕生から今日までの私たちの「生きざま」です。その「生きざま」というフィルムが上映されているのが、「今」というこの瞬間、すなわち眼前の現実であるのです。

昨日苦を撮影すれば、今日の上映番組は、「苦」です。昨日よろこびが撮影されたなら、今日の上映は「よろこび」です。そうやって撮影され、映し出されるのが、人が「これが自分の現実」であると感ずるものの正体です。

たとえば、宿命だと思うしかない忍苦の日々のくり返し。これは、実は撮影された「苦」が上映され、上映された「苦」を見て、またまた「苦」をフィルムに焼きつけてしまうという悪循環です。ひるがえせば、今日、よろこびをフィルムに撮影すると、明日の現実は「よろこび」となります。そのよろこびがまた撮影され、あさっての現実もまた「よろこび」となるのです。そうやって連綿と繰り返される「撮影」と「上映」。これが人の一生です。

撮影されなかったシーンの上映は、万が一にもあり得ません。「おもい」のとおりを忠実に映し出すのみです。──このことを、「かん自在じざい」といいます。

人間は「おもい」のとおりになります。間違っても頭で意識して考える「思い」のとおりにはなりません。いくら幸せになりたいと「思って」も、今日を苦に「おもえば」、明日以降の現実も「苦のおもい」のまま。ひるがえせば、よろこびの「おもい」を刻めば明日以降の現実は「よろこびのおもい」のままなのです。

これは、当たり前のことです。しかし私たちは、この当たり前を実生活のなかで見失っています。上映された「苦」に振り回されて、それが実は自分がフィルムに刻んだ映像にすぎぬことには思い至りません。ただ眼前の映像だけを見て、不平不満の「おもい」ばかりをつのらせます。その不平不満がまたフィルムに刻まれ、明日もまた不平不満が現実になるのにもかかわらず、そのマイナスの「おもい」を正すすべを知りません。

おもい」が先で、結果があと。これが大自然の絶対的な法則です。

よろこびの「おもい」が刻まれていなければ、当然この今をよろこぶことはできず、したがって後に続く現象にもよろこびはあり得ません。なんらかの問題を抱え込んだとき、その問題が解決したからよろこびの「おもい」がいてくるのではなく、問題を抱えていてもよろこびの「おもい」をかせることができたからこそ、問題は解決するのです。

たとえ現象面で「解決」したように見えたとしても、苦の最中によろこびを刻めたか否かで、その解決の質は、大きく、根本的に異なります。苦悩の最中にあるとき、「この問題さえ解決すれば苦しまなくてすむのに」と考えることは、今に苦を刻んでいることにほかなりません。今というときによろこびを刻むことができなかったならば、その人のもとに「二度と苦しまなくともすむ」という現実は訪れないでしょう。

たとえば借金という問題を抱えた人が、どうにかこうにか工面して借金を返したとします。外見は問題解決のように見えはしますが、根底によろこびがないかぎり、この人はふたたび金銭問題を招き寄せることにもなりかねません。

「もしも、……であれば」と希求するのをやめなければ、人は決して明日を幸せにすることはできません。「もしも健康であれば」と求めるよりも、「たとえ病気であっても、自分にはうれしいことがたくさんある」と考えられる人間になれば、この人は病気を患っていてもすでに病人(病気を苦にする人)ではなく、病気そのものも直に治癒するでしょう。

たとえどんな状況にあろうとも、今のままで楽しむことのできる人、よろこびをかせることのできる人でさえあれば、その人には必ず「よろこびの答え」が実証されます。それが大自然の法則であるかぎり、他の答えは絶対にあり得ません。今は苦しいけれど明日は最高の「おもい」をかせよう、ではだめなのです。今はできないけれど、この本を読み終わったらよろこべるように努力しよう、ではだめなのです。本当ならば、今この一行を読んだ瞬間に「そうだったのか! 最高!」と立ち上がっていなくてはなりません。

何よりも大切なのは「今」です。今この瞬間によろこびを刻めたなら、よろこびの今が連綿と繰り返され、それがあなたの明日になり、未来になり、一生になるのです。