◇5.「観い」とはなにか

「観い」の刻みで決まる3界

私たちの生命体は、死を迎え肉体を離れたあと、どこに行くのでしょうか。

死後の私たち生命体の属する世界を知るか知らないかで、生き方も大きく変わってくるはずです。

死後の生命体の世界には、「天上界」「転生界」「地獄界」の3界があります。

この3つの世界は、生命体が類の法則によって引き合い、それぞれ波長を同じくするもの同士が集まるところであり、自然に形成された世界です。

死後どこの世界に行くかは何かによって決められるのではなく、自ずと定まってくるのです。間違っても閻魔えんま大王が決定するのではありません。つまり、死後自分の生命体がどこに位置することになるかは、生前のうちに自分が決定してしまっているのです。自分で選ぶからといって、それじゃあ天上界がいい、というようなわけにはいきません。天上界に行くためには、天上界と同じ波長を持たなければだめです。すなわち最高のよろこびを刻む波長です。この最高の波長を持たずして「天上界だ」といくら決め込んだところで、この人の生命体は、それ以外のところに行くしかありません。

つまり、生前の「おもい」そのままの世界が、死後の世界であるということです。現世で修羅の「おもい」を刻んだ者が、死んだからといって安らかな天上界に入れるわけはありません。天上界に入るのは、肉体を持つ現世において自他をよろこびで満たし、最高の「おもい」を刻んだ者だけです。

ここできちんと理解しておきたいことは、すべての基準は「おもい」であるということです。生前の行いの善し悪しではなく、「おもい」が「よろこび」であったか「苦」であったかです。

いかに善行を積んでいようとも、「おもい」に苦を刻んでいれば、死後の世界も同じく「苦」の世界です。ですから、はた目で見た徳の高さなどは特に意味をもちません。常にプラスの「おもい」をかせ、身のまわりのすべての生命、事物によろこびの波動を送ることのできた人は人間完成のできた人であり、その生命体は自然に天上界へと引き寄せられていくのです。いわゆる観自在の人の生命体が行く世界がここです。

天上界は天にもっとも近い世界であり、ここまで来ることのできた生命体は、人間界での修行を成し遂げたことになり、二度と人間として生まれてくる必要がありません。生命体としての当面の目的は、この天上界に昇ってゆくことにあるといえます。

天上界の1歩手前が「転生界」です。未だ本物の人間になれず、人間完成を目ざす生命体が集まるのが、この転生界です。ここでときが訪れれば再度人間として現象界に送り出されるのです。輪廻転生を繰り返すのは、この生命体です。

「地獄界」は大きな苦を刻んできたり、自殺など自然の法則ではやってはならないことを行った生命体が集まる世界です。地獄界にまで落ちた生命体が、人として生まれて再び修行の位置につけるまでには、おおよそ1万年から2万年の歳月が必要とされます。

生命体の旅路は、こうしていつ果てるともなく続いてゆくのです。