◇1.生きているからには役割がある

それでも心臓は動き続けている

この世に誕生したからには、誰もが死を迎えるもの。それは避けようのない事実です。その死が願わくは安らかでなんの苦痛もないものであってほしいと思わない人はおそらくいないでしょう。

しかし、死というものは一朝一夕で迎えるものではありません。80年生きた人は、その80年の生きてきた結果が死です。いわば、人生の総決算がその人の死というものです。だから、死を本当に安らかに迎えたいと思うのならば、今生きているうちに、心臓が動いているうちに、やることをしっかりやっておかなければなりません。

果たしてそれが何なのかを、残念ながらほとんどの現代人は見失っています。どう生きるかわからず、無為に年を重ね、人生の終わりが間近に迫ったときに、ただ焦るばかり。自分は何をすればいいのか、人生で何を残さなければならないのか、まったくわからずに取り乱してしまいます。

残念なことに、現代ではそういう人がほとんどだと言えるでしょう。しかし、断じてそれは人間らしい生き方ではありません。

人間の本当の姿とは、老いてますます健康、自分の身の回りのことは全部自分でできるというもの。よくよく考えてみれば、人間社会だけに「老後」や「現役引退」という言葉が存在します。動物の世界であれば、自分が獲物を獲得できなくなったということは即、死を意味しています。自力の生活能力がなくなれば、それはただちに死ぬことと直結しているのです。

人間だけが、肉体が衰えてもなお、人生を生き続けることができます。ということはこうも言えるでしょう。何かを成さなければならないから、まだ心臓が動いているのだと──。心臓は私たちが自分で勝手に動かしているものではない以上、なんらかの力で生かされているということです。なんらかの役割があるからこそ、こうしてこの世に誕生して人間をやっているのです。その役目がある以上、その人の心臓は動き続けるはずです。だからこそ、その人は人生の最後の瞬間まで完全燃焼しなければならないのです。

身の回りすべてを他人の世話になって、じっとしているのでは役目は果たせないと思うべきです。しかし、それは夢や理想論ではありません。誰でも可能な生き方なのです。今心臓が動いているうちに何をすべきか、どう生きればいいか、それが正しく生活に表現されているときには、誰でも素晴らしい老後、素晴らしい死を迎えることができるのです。