◇8.死の迎え方

大往生は祝福の場

家族の1人が大往生を遂げると、残された家族はすべて安泰となります。親の死にざまはそのまま子に引き継がれます。なぜなら、死にざまというのは、これまでに述べてきたように生きざまの集大成であるからです。親子関係は血液の分配で成立している以上、親の生きざま、死にざまは、子孫にそっくり映し出されることになるのです。

家族の一員が亡くなったというのにその家族はますます繁栄することになります。それが大往生が誕生した家の結果なのです。とにかく、事のすべては順調に運び、なんの不安材料もありません。それらの子どもたちがまた大往生を遂げるいちばんの近道を歩めることは間違いありません。

最近はそのような死を迎える人は本当に少なくなりました。ほとんど皆無と言っていいくらいです。ほとんどの葬儀の現場では、悲しみにうちひしがれた家族の姿ばかりが目につきます。闘病生活の果ての死、不慮の事故による突然死、そのような死に方で人生を終えると、残された家族も悔いが残ります。家族のなかにぽっかりと穴が開いたように、空虚で寂しい雰囲気が漂ってしまいます。

しかし本当は、人間が死を迎えるということは祝福すべきことなのです。「ごくろうさまでした」といって亡くなった人にねぎらいの言葉をかけてやりたくなり、「本当によかったね」と笑顔で死者を送ってやるべきことなのです。ところが、家族の誰かが亡くなり、残された家族が悲しみのあまり寝込んだり、さまざまな問題が発生することがよくあります。相続問題にしてもそうです。それは残念ながらその人の死が自然の法則にかなったものではなかったことの結果だったと言えるでしょう。

人間の死は、本来最高の瞬間です。地上界での各々の役目を終えてすべての汚れを落として天に帰る瞬間であり、その生命体の新たなる旅のスタートだからです。死はまったく怖がるものではないし、むしろ祝福すべきものなのです。