体験談の一覧 実体験にもとづく手記の一覧です。
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死ぬことばかり考えていた私が、「よろこびの表現体」に
私が大自然の法則と出会ったのは、平成8年の5月のことでした。 当時の私は、世間で言う「まとも過ぎる人間」で、善悪にとてもこだわり、人を許すことができずに、人を責 (さらに読む…)
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病弱だった私が、人々の心身を癒し、真の赤い糸に向かうお手伝いを
私は、教師を務める両親の間に、兄と弟と3人きょうだいの真ん中に生まれました。生まれたばかりの赤ん坊のときからほとんど笑わない子で、身内からは「この子の笑いに千両 (さらに読む…)
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自信のなかった私が仕事で成功、赤い糸にも出会い
私が大自然の法則と出会ったのは、1冊の本を通じてでした。 当時20代だった私は、自分に自信がなく、人一倍努力はするのに、いつも良いところまではいくのに、ここぞと (さらに読む…)
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うつ病から立ち直り、幸せな家庭を築くことができ
私は、1968年、東京都内に2人姉妹の次女として生まれました。4300グラムもある大きな赤ちゃんだったので、母は本当に大変だったそうです。 大きく生まれたのです (さらに読む…)
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夫の暴力に苦しんでいた私が、本当の幸せをつかみ
私が大自然の法則に出会ったのは、18年前のことです。 東京の大学に通っていた長女から電話があり、帰省するから、駅まで迎えにきて欲しいとのことでした。 娘がそれま (さらに読む…)
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般若心経から般若天行へ、大自然の法則と調和して
歴史が好きで史跡を訪ねて ―― カラオケがご趣味だと。始められたきっかけは? ■ もともと歌うことが好きなのと、人前で歌って拍手していただくとストレス解消になる (さらに読む…)
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夫との別居、難病を克服し、「赤い糸夫婦」に
私は、昭和12年、山形県の小さな村の農家に生まれました。祖母・両親・きょうだい8人という大家族で、12人家族の食卓はいつもにぎやかでした。馬、羊、ヤギ、ニワトリ (さらに読む…)
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頑固だった私が、ありがとうが言えるように
私は昭和15年(皇紀・紀元※2600年)、香川県高松市に父文雄、母千代子の、3人の子の次男としてこの世に生を受けました。その年は紀元2600年を祝い、全国でちょ (さらに読む…)
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自殺者の絶えない家、苦難の連続の人生をプラスに変えることができ
私は、3人きょうだいの次男として生まれましたが、もともとは母方の姓でした。 しかし、高校入学前に、両親から「父は養子なので、父方の跡継ぎが誰もいない。父方の姓を (さらに読む…)
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「家族全員が健康になったすばらしい毎日です」のおもいが実現
私が大自然の法則に出会ったのは、20年前のことです。 30代の当時、年齢とともに崩れていく女性の体型維持をうたう下着の「ファンデーションアドバイザー」を職業とし (さらに読む…)