「この目で確かめたのだから間違いはない」
あなたは、こんな言葉を口にしたことがないでしょうか。もしあれば、それはすでに述べた「思い込み」のワナにはまっているかもしれません。
私たちには、自分の目で実際に見たことを、無条件に信じてしまう傾向があります。
ですが、実際に見たからといって、それが正しい現実を見たのかどうかは、その人が見たというだけでは判断できないものです。正しく見たのかもしれないし、間違って見たのかもしれない。そのどちらもあり得るのです。
なぜなら、同じものを見ても、人それぞれに見る目が違うからです。
このように説明をすると、まるで禅問答のようで分かりづらいかもしれません。そこで、簡単に理解していただくために、一つの実験をしてみたいと思います。
次の絵を見てください。この絵は心理学の教科書によく出てくる「多義図形」と呼ばれるものの一つです。有名な絵なので、見覚えのある方もおられるかもしれません。
さて、女性が描かれていますが、彼女はどのような女性で、年齢は何歳くらいでしょうか。できれば、性格も想像してみてください。
さあ、この女性は、あなたにはどう見えたでしょうか。
かなりの歳のご婦人に見えた人もいるでしょう。一方、20歳前後の若い女性に見えた人もいるかもしれません。あるいは悲しそうな女性に見えた人も、すましている女性に見えた人もいるかもしれません。
では、もう一度、高齢の婦人に見えた人は、今度は若い女性に見えるように、悲しそうな女性に見えた人はすました女性だと思って見てみてください。若い女性、すました女性に見えた人はその逆です。
さて、最初に見た女性と違う女性を見ることができたでしょうか。少し苦労しないとすぐには見えなかったと思います。それは、見た瞬間に判断したものを、「正しいと思い込んだ」ために、その逆を見ることがすぐにはできなかったからです。
この場合は正解はないのですが、思い込んだほうを正しいと信じると、もう一方の事実が見えなくなります。もし解説しなければ、若い女性に見えた人は、何の疑いもなく「このページに若い女性の絵が確かにあった。私がこの目で見たのだから間違いない」と主張し続けるでしょう。
もし、最初に「次の絵は50代の女性を描いたものです」とウソの説明がついていたら、あなたは絵を見る前にウソの情報に「思い込み」をして、何の迷いもなく、50代の女性を描いた絵として見ていたでしょう。すでに頭の中に入っている情報を正しいと思い込んだことで、見方が限定されてしまうのです。
これが「思い込み」の原型と言えます。目で見たことが正しいかどうかは、見る対象の問題ではなく、それを見る人の見方によって、どうにでも変わります。その見方が間違っていれば「間違った思い込み」が生まれ、それを基準にする考え方や行動は、当然間違ってきます。
この絵を紹介したのは、そのような可能性を人は誰しも持っていることを実感として感じていただきたかったからです。自分の目で見たものが絶対に正しいとは限らないということをお察しになったのではないでしょうか。
事実を認めたくない不思議な心理
「理由なんてないけど、とにかくアイツは感覚的に嫌いなんだ」
友人や同僚、あるいは上司や部下に対して、こんな気持ちを抱いた経験はないでしょうか。「顔をみるだけでもいや」「触られただけで寒気がする」といった感覚を一概に否定することはできませんが、この好き嫌いも、思い込みに基づいていることが少なくありません。
なぜなら人間は、先に述べたように、あるがままの事実を見るのではなく、自分が見たいと思っているようにものを見ようとする知覚システムを持っているためです。自分の都合の良いように、見た事実を曲げて見ることが実際にできるのです。
たとえば、嫌いだと思った人が何を言っても反発したくなり、好きな人が同じことをいえば素直に受け入れられる、という体験をしたことがないでしょうか。
もしあるとすれば、それは、人の言葉やその内容ではなく、単なる自分の感覚によって左右されている証拠です。
友人の忠告は無視していたのに、自分の尊敬する相手から同じ忠告を受けると素直に従ってしまう。美術評論家が良い絵だと言えば、そう思えてくるといったことも同じで、そんなことを繰り返しているうちには、自分の尺度でしか物事がとらえられなくなり、事実が何なのか、真理が何なのか、自分が何なのかさえ見失ってしまいます。
ではなぜ、これほど思い込みに左右されてしまうのでしょうか。
それは誰の中にも、自分が嫌だと思う事実や自分にとって不都合な事実は認めたくないという、不思議な心理が働くためです。
嫌いな事実に立ち向かうよりも、思い込みによって、自分で自分をだましていたほうが表面的には楽です。そしていつの間にか、自分で自分を偽っていることさえも忘れてしまうのです。
私たち人間の悩みの多くは、この「間違った思い込み」によって生み出されています。
あなたは、悩みの原点にある自分の思い込みに気づいているでしょうか。多くの人はそれに気づかず、悩む自分を嫌い、自分を変えなければと思うようになります。
そこで知っていただきたいことが一つあります。
それは、自分が変わるということは、自分に都合の悪い事実を認めることであり、同時に新しいこと、未知のことを受け入れるということです。
「自分を変えたいのに、変えられない」。そんな人の内には、それを邪魔している「間違った思い込み」が潜んでいるのですから、どんなに努力しても変われるわけがありません。
変わるためには、この「間違った思い込み」や習慣に気づき、そのしがらみから、自分自身が解放される必要があるのです。