はじめに

それが重篤じゅうとくな病であれ経済的な破たんであれ、期待を大きく裏切られ失意のどん底に落とされた苦しみであれ、大切な人を失った悲しみであれ──
危機は必ずそのなかに「気づき」の宝石をひそませている。その宝石を私たちはさがし出さなければならない。そのことにのみ費やされる一生であると言っても言い過ぎではないはずだ。
人生に訪れるさまざまな危機や苦しみは、すべて「気づき」を促し、真の人間性を獲得するための材料なのだ。どん底まで落ち、もうこれまでだと観念したそのときに、人は大切なことに気づく。そうやって成長し、人格を高め、次いで内なる本質的な生命の力をも高める。そしてついには、いかなる世の事象にも微動だにしない超然たる存在になり得る。
人間とは、おのずからそのような存在なのである。

このことに心底気づくまで、私は相当の年月を要しました。

もうダメだ、死のう── 一度そう心に決めたのが45歳の春のこと。皮肉にも親しい知人らが我が世の春を謳歌おうかしているさなか、順風満帆だった生活が急転。神経を酷使する仕事でためこんだ精神的疲労、次々と降りかかる家庭の問題。追い打ちをかけるかのように深刻化する原因不明の腰痛がその悔しさをさらに増強させました。
それはまるで何者かに重い重い足枷あしかせをはめられていたようでした。
苦難にたえかねた私は、駅のホームにやってくる列車にフラッと飛びこみたい衝動に駆られては、すんでのところで留まる……そんな日々を送っていました。

絶望しかなかったそんな矢先に人生を180度変える一筋の光明と出会おうなどとは、みじんも思っていませんでした。

この世には、人間の生きてきた経験や知識だけではどうにもならない、ある「法則」がある。まして人間は自分で生きているのではなく、天によって生かされている。こんな単純な事実にさえ気づかず、ただ理由も分からず苦の絶頂を迎え死ぬことばかりを意識していたあの頃も、今となっては大切な思い出です。

本書は、私の体験から会得することのできた「自然の法則」と、その真髄を少しでも多くの人に伝えたいと思い著しました。

気づきをもたらしてくれた最愛の妻、そして息子たちに感謝して。