苦難に満ちた人生か、それとも喜びに満ちた人生か。たえず頭を抱えて生きていく人生か、それとも生きがいを持って満足いっぱいに生きていく人生か。
本当に厳しいようですが、私たちの生活・人生は無意識の「観い」の通りに形づくられていくということを述べてきました。
これが、エネルギー体としての人間の生涯を司っている自然の法則です。
この観いは、頭ではコントロールすることができず、「良いほうに変えよう」としてもその一切はムダに終わり、むしろマイナスに作用してしまうこともご理解いただけたことでしょう。
では、この観いをプラスに変える方法はないのか──。
大切なことなので繰り返し述べます。人生において生じるすべての問題は、人間が本来抱いてはいけない無意識のマイナスの観いを、人知れず刻んできた結果です。
私たちは今まで、その憎しみ、イライラ、不安、こだわり、嫉妬……といったマイナスの観いをどうすることもできず、それゆえに様々な困難にぶつかってきました。
しかし、自分ではコントロールできなかった無意識の観いが正常になるにつれて、健康も繁栄も、仕事も家庭も整ってきます。
この、観いを正常にする「行」が、天から与えられているのです。
この行は、天行力が流れ、無条件にプラスの観いを刻むメソッドです。
今生かされている人であれば誰でもでき、「変わりたい」「変わっていかなければ」と思っていてもどうしても変われなかった自分自身をプラスへと導く、100パーセント大自然の法則にもとづいた行です。
【大自然のリズムで、智恵の言葉をただ口に出す】
聞き慣れない名称に戸惑いを覚える方もおられるでしょう。「般若天行」という言葉をただ口に出していきます。
この般若天行は、釈迦が伝えた般若心経とはわずかに数文字が異なるだけですが、この「心経」と「天行」の違いにこそ、人間がいかに人間らしく生きられるかの真髄が隠されています。
釈迦が布教のなかでまさに人々に伝えたかったのは、マイナスの観いを刻めば、その通りの問題を引き寄せるということでした。自身の悟りの体験から、人間には自我があるため、どうしても苦悩の人生を送ることになるが、それを解消するために般若心経を生み出し、自身の説法の中で伝えることで救済を行ったのです。そして、その説法を文字にしてしまえば意図が正しく伝わらないことを知っていたので、弟子に文字にすることを禁じたのです。
釈迦が伝えたかったこと。それはただ繰り返し般若心経を口ずさむことでした。般若心経はプラスの言葉です。プラスの言葉を吐けばプラスを吸うという法則があり、そのときには観いがプラスに変わるのです。しかし、それを意味として文字にしてしまうと、その内容を知り理解しようとします。そのとたんに知識となってしまい、理想を頭で求めるようになってしまい、観いが反対方向へと向かっていきます。
釈迦の死後、数百年経てから後継者たちが繰り返してきたのは、「願い、求めれば、救われる」という心理の範疇の経文であり、頭で追い求めるものでした。
それを超越し、頭ではなく、首から下の本当の自分を源(わ)かし、気づけばプラスの観いを刻めているのが「般若天行」なのです。
わずか276文字の般若天行の智恵の言葉を繰り返し口に出すことで、自分の中にある「本当の人間」を吐き出します。そして、それをまた吸います。
これを楽しみながら繰り返します。見返りを求めず、「ただ」繰り返すだけです。
文字に力があるわけではありません。般若天行を繰り返すことで、本当の自分が引っ張り出されていくのです。本来持っているはずの喜びを引き出していくのです。
【般若天行を楽しく書き写す】
般若天行を口ずさめば、次にはただ書き写します。
似た動作に写経というものがあります。写経は、墨のすり方から筆の持ち方、目線、環境の整え方など、事細かにその形式が追求され、それが守られなければご利益はないというものです。しかしそれでは、人間を頭の世界にしばりつけ、なおいっそう苦を刻ませるだけになります。
般若天行は、今生かされている自分自身に感謝して喜びを感じながら、薄く書かれた276文字の上を「ただ書きなぞり」ます。開始まもない時期は、今の悩みや心配事、不安や不満、般若天行によってかなえたいことなどが思い浮かんできてもかまいません。そうした気持ちを押し殺すこともせず、ただ、ただ、書きなぞっていきます。
あたかも落書きでも楽しむような気持ちで、ただただ書き続けます。そうすれば必ず自分の中にある大自然のリズムが引き出され、生活に表現されていきます。そして、大自然のリズムと波長が合うほどに、知らない間に喜びがこみ上げてきます。
大自然のリズムというものは、頭で理解できるものでもなければ、テクニックで身につくものでもありません。考えるのではなく、ただ繰り返し書き続けます。それだけで、当たり前に大自然のリズムと一体となるのです。
書かなければいけないから書くのではなく、書かずにはいられなくなります。そのような状態になったとき、もう喜びの世界に足を踏みこんでいます。
【天行力を受けながら喜びを吐き、吸う】
それまでとはうって変わり、座った状態での呼吸を繰り返します。
動作は座禅に似ています。しかし座禅は人間の心の安定に役立つかもしれませんが、頭の世界で幸福を求める姿勢から完全に脱却したものではなく、喜びを源かせるものではありません。
まずは正座であれ、あぐらであれ、椅子に腰かけようとも、座っていればどのような姿勢をとってもかまいません。座して、鼻から大きく息を吸いこみ、腹から搾り出すように吐きます。つまり、腹式呼吸を繰り返すのが基本です。
単なる腹式呼吸と異なるのは、「手のひらから息を吐き、手のひらから息を吸う」というイメージで呼吸をすることです。そうすることで呼吸を行っている「自分」という主体を自分の「頭」から切り離し、生かされている自分を感じとれるようになります。
右手には天行力手帳を持ち、頭から切り離した自分を自然のリズム、波動に合わせながらより多くの天行力を受け続けます。ただ繰り返すことがなぜか楽しくなり、無条件にこみ上げてくる喜びを感知できるようになっていきます。
先に述べた般若天行の実践によって得た喜びの観いを、吐いて、吸います。喜び(プラス)を吐き、吐いた喜びをふたたび吸いこむのです。
これをただ繰り返すだけです。
「自分は病気だ」と言葉に吐けば、その観いは変わらず健康になれません。逆に「ありがとう」と吐けば「ありがとう」を吸ってプラスの観いがこみ上げてきます。
般若天行を繰り返し口に出し、繰り返し書きなぞり、手のひら呼吸で喜びを吐き、それをまた吸う。日にちの経過とともにこれら実践行が生活に溶けこんできて、自然にできるようになれば、観いが変わり始め、気づかぬ間に自分をとりまく環境も好転していきます。
生活にリズムが出てきて、やる気が源いてくるようになります。やがて、物事へのこだわりがなくなっていき、毎日が不思議と楽しくなり、将来への不安が小さくなっていき、今自分が生きているだけで満たされた気分になっています。
もうこの頃になると、気づいたときには苦を刻むことがほとんどなくなっています。