私は兄2人、妹2人を持つ5人きょうだいの真ん中で育ちました。両親は農業で、田んぼ、畑仕事に精を出す毎日でした。母は負けず嫌いな性分で、田んぼ仕事にしても人より遅れることが大嫌いでした。毎朝5時のサイレンとともに起き、朝食まで一仕事をしていました。
長女は損だなと思って
田農繁期には、小中学校で短い休みがありました。田植え、稲刈りには子どもも手伝いました。忙しかったけれど、楽しい思い出が多いです。
長女ということで、よく用事を言いつけられました。夕方5時からのご飯炊きは、今と違ってかまどでします。農繁期の1ヶ月ぐらい、ジャガイモ、玉ネギの煮物を毎日しましたが、私ばっかりといつも不満でした。手伝いのない妹2人がうらやましくて、長女は損だなと思って大きくなりました。
優しい兄の病気は親のせいだと思い
5人の子どもの成長期には、世の中も高度成長時期に入って、田舎でもテレビを始めとした電化製品を競って買い求める時期でもありました。私は、思春期のころより、両親がよくけんかをするのが嫌でたまりませんでした。顔を合わせばけんかし始めるといった具合です。何かと言えば「馬鹿」が口癖の父は、それでも、家に帰るなり、いつも「お母ちゃんは」と一番に探していました。
母は毎日のように「金がない」とよく口にしていました。母が朝、田んぼの支度をしていると、父は背広を着始める――それでけんかが始まることがよくありました。父は農協を始め、学校や町内の役員を何かとしていて、朝からそれで出かけることがよくあり、金にならないことで出かける父を、母はなじっていました。父は他人には愛想よく笑顔をしますが、家の内では苦虫をかみつぶしたような顔つきで短気でしたので、怖かったです。
また、2つ上の兄が高校受験ころより精神に少しずつ異常をきたすようになり、家の中はますます暗くて、私は不安だらけになっていきました。けんかの絶えない両親を嫌う私の気持ちはますます強くなり、私は父にはおくびにも出せない分、母に露骨に当たるようになりました。また、優しい兄が病気になったのも親のせいだと思うようになり、責める気持ちも強くなりました。
結婚後、ある団体の活動を16年間
私は、年ごろになり見合いを勧められても、結婚に対しての不安が先行し、希望が持てませんでした。一度決まっていた話を私から壊し、両親を怒らせ悲しませました。私はそれを機に親元を離れ、広島市内で仕事に就きました。そこで主人との出会いがあり、結婚しました。父のような短気の人は嫌だと思っていたのに、気がついてみれば父に負けず短気でした。
やがて子どもも授かり、子育てが始まりました。そんなある日突然、訪問してきたある社会教育団体の人のお誘いで、近所の座談会に行き、子育てによいと思い入会しました。朝が苦手な私でしたが、5時からの会に参加するのに、4時起きする日々が始まりました。そのとき教えられたことは、無償の働きはすばらしいということでした。
以前、結婚のことで両親を悲しませた償いを常々したいと思うようになっていたので、一生懸命やりました。しかし、16年間「やればよくなりますよ」と言われて続けた結果が、主人が障害で倒れたという事実でした。活動どころではなくなり、働かざるを得ない状態になりました。あんなにやったのになぜ?と落胆し、その会で、どうしたらいいのかと問い続けましたが、答えはありませんでした。失意の末、そこを去るしかありませんでした。
自然の法則に出会い
その後、始めた仕事も行き詰まり、また生活も精神も追い込まれてゆきました。けれど、4人の子どもを路頭に迷わすわけにはいかないと、自分の気持ちを強く持ちたい、何かが必要と思っていたときに自然の法則に出会ったのです。
やはり仕事上で行き詰まっていた上司が先にその教えに出会っていて、その後職場関係の人に勧めていました。私はその人のよろこびが何かわからないけれど伝わってきて、やってみたいと思えました。今から思うと、16年間の歩みが私にこの出会いをもたらしてくれたのだと思います。
頭を取り、これから乗り切っていける気持ちに
当時は希望すればすぐに頭を取る過程に入ることができ、そこですごい体験をしたのです。悪く考え出したらどんどん自分から深く沈んでしまうマイナスだらけの自分、ひどい自分をさらけ出していたとき、「そういう自分を直したいと思って来たんでしょ?」と一緒に行った若い同僚の子に涙ながらに真剣に言われてふっきれました。頭が取れたのです。肚(はら)の底から力がわいてきて、気持ちが楽になり、これから乗り切っていける気持ちになれました。ひとつ何かがプラスへと動き始めたのです。
願わず、求めず、頼らず三法行を繰り返して
それから三法行(さんぽうぎょう)をやり始めました。「『願わず、求めず、頼らず』ただただ繰り返しやりなさい」――この言葉に、今までの16年間の歩みでは、願って、求めて、頼って……、この反対をやっていたとわかりました。そこからマイナスの結果を引き寄せていました。自然の法則があることを知らされました。
天声ではこう示されています。
「天地の法則とはただ繰り返しのリズムだ。
無機物、有機物、“生”なきもの、“生”あるもの、天地に存在を有するすべてがただ繰り返しのリズムによって、その本来の姿を表わし、それぞれのあるべき姿が自然の法則に沿ったバランスといえる調和と天に生かされている創造の一員と成って、天地の大空間に絶対なるよろこびを表現し続けている。
天地の法則のあるがまま、ただ繰り返しのリズムの中にあるものは調和とよろこびのままだが、逆にただ繰り返しのリズムを怠ったものは調和とよろこびの世界から外れてしまい、消滅してしまう厳しさがある。
自然を繰り返せば 自然が出る
自然は絶対なる調和とよろこびを実証する
不自然を繰り返せば 不自然が出る
不自然は不安と苦悩と破滅を実証する
これが大自然、あたりまえの法則といえる。」
肚の底にある観いが重要
私は、頭を取るまで「いい人」をやっていました。でも、肚の底ではひどいことをつぶやいている自分がいました。口に出してひどいことを言わなければ良いのだと思いつつ過ごしていたと思います。その肚の底にある本音の観(おも)いが重要であることがわかりました。観いがプラスかマイナスかで生活に結果として表れてくるからです。三法行はその本音の部分である観いをプラスにしてゆきます。気がついたら、グチ、泣き言が影をひそめ、笑顔が増え、明るくなっていました。
自分も両親も大好きに
私に続き、家族5人は全員頭を取りました。長男がお母さんが明るくなったからと言ってくれたのがとてもうれしかったです。これまでの歩みの中で、以前あんなに嫌がっていた父、母の欠点が自分の中にあったことに気がつきました。でも、頭を取って三法行を繰り返している今、その欠点を含めて自分が好きになっているのです。そして気がつけば父、母のことも大好きになっていました。今は、尽きない感謝の観(おも)いでいっぱいです。現在は、主人と一緒に三法行をやれる楽しさがあり、体のハンディがありながらもよく笑う主人は以前とはまるで別人のように変わりました。
「本当の人間に成ろう!」
自然の法則に出会って、世のすべての皆さんに伝えたいことは、「人間はよろこびの表現体である」――「本当の人間に成ろう!」ということです。
一人でも多くの方に般若天行を法筆(ほうひつ)し、生命活性エネルギーである天行力(てんぎょうりき)を体感していただきたいと思っています。
私の周りにも、三法行を通じて、人間本来のよろこびに目覚めている方が、次々生まれています。
広島あさなる会館では、法筆や三法行の体験もできますので、ぜひ気軽にお立ち寄りいただきたいと思っています。