私は、昭和16年に7人きょうだいの四女として東京都に生まれました。両親、きょうだいともに優等生で、姉3人は教育者になりました。私だけが勉強嫌い、できないという家風に合わない存在でした。
親きょうだいからちやほやされ
低学年のころは、近所の子どもたちを集めては、おてんばぶりを発揮していました。高学年になると、自分自身で状況がわかるようになり、劣等感の塊になっていきました。
中学生のころ、叔母の勧めで母が仏教系の新宗教に入信し、私も会員となり聖歌隊に入って20年間聖歌を歌いました。その宗教団体系列の学校を卒業後は、銀行で総務の仕事に携わりながら、教会に通いました。戦後間もないころだった子ども時代は、物がない中でも大事にされて、社会人になってからも、親きょうだいからちやほやされ、苦労知らずの独身時代を過ごしました。
後妻に入り、苦労が始まり
適齢期になると縁談がありましたが、聖歌を歌い続けたいと思って過ごしているうちに婚期を逃してしまいました。その後、家族で都外に引っ越すと、東京とは違い、周囲は結婚して家庭を持っている人ばかりなのです。周囲に溶け込んでやっていくために、結婚を強く意識するようになりました。
38歳のとき、母の反対をよそに、会員の方の取り持ちで子どもが2人いる人の後妻に入ったものの、子育ての経験もない私には苦労の始まりとなりました。
頭を取って、人からも変わったと言われ
教会関係の先輩に勧められ、自然の法則と出会うことができたのは、それからしばらくしてからのことでした。リーダーの方が「何かいいみたい」と言うので、20人くらいで講演会に行き、その後、皆で問題の原因を作る頭を取りにいきました。
頭を取ると、いつも気になるところが「まあいいか」と思えるようになっていました。主人からも変わったと言われ、自分でも4~5日でこんなに変われるんだとびっくりしました。教会関係の仲間と一緒に三法行(さんぽうぎょう)を繰り返しました。
母も頭を取って
けれど、結婚生活15~16年後、主人の仕事の関係で別居したことから夫婦の間に距離ができ、やがては離婚することになってしまったのです。私は、初めから無理な結婚だったと思い知りました。また、母には本当に心配や苦労をかけてしまったと思いました。
6人のきょうだいはとうに独立しており、父は他界していて、いつになっても私のことを案じてくれた母と2人の生活が始まりました。母は私が以前と違って明るくこだわりがなく、自分よりも人のために何かをしようとする姿を見て、私に続いて頭を取りました。それは何より母への恩返しになったと思います。
共に三法行をやる人が
一人暮らしになった私は、若い人たちに混じり、大自然の法則に沿う特別なコースを歩みました。そこは、私の思った通り、生きていくための宝の山でした。規則正しい生活の中で、終日、自然と調和した繰り返しができ、その後の歩みの礎になりました。
その後もグレードアップした三法行を繰り返し、祖父と叔父が区長を勤めた東京がプラスの波動を高め、しんに「あこがれの東京」となるようにというおもいで、自然の法則をお伝えしていると、自然な形で、「あなたの言うことならやってみたい」と三法行をやる人が出てきました。
人さまのお役に立ちたい願いに沿い
思い返せば、私の家系は、父方は庄屋(しょうや)を代々し、母方も区長をしたりと、人さまのお役に立とうというおもいの強い先祖が多く、私もご縁のある東京のお役に立ちたいというおもいでしたので、とてもうれしく感じています。両親に心配ばかりかけてきた私は、両親や先祖の喜ぶことをしたいとも常々思っていましたので、その意味でも人さまのお役に立てる自分に成長させていただいているのだと思えるようになりました。
暗いニュースが後を絶たない昨今。人はみな本来、互いに助け合う中で、繁栄の中よろこびのままに生涯を送り、それを子孫に譲り渡していけるように、生まれついているのです。それが、自分中心の生活を優先するようになり、次第にさまざまな問題を引き寄せるようになってしまいました。世界中の人々が平和で健康に恵まれて生きていかれるように、これからも、自分が身を持って体得することができた大自然の法則をお伝えしてまいりたいと思っています。