私は、昭和23年、静岡県に生まれ、物静かな父と明るく天真らんまんな母に育まれ、どちらかと言えば父親に似て物静かな子ども時代を送りました。
高校を卒業後は家具卸問屋に勤務しましたが、オイルショックもあり保険会社へと転職しました。
飛ぶ鳥を落とす勢いで
保険会社では、どんどん仲間を追い抜き、すぐに管理職になりました。そのころの私は飛ぶ鳥を落とす勢いで、赴任先の支部の成績も良好でした。 優秀な社員にも恵まれ、「支部長、支部長」と持てはやされ、その社員たちの思いに答えようと必死で教育もしておりました。表彰制度があり、社員たちを引き連れての招待旅行に出かけたものです。今思えば、 世間的には一番幸せな時でした。
妻が頭を取って明るくなり
そこで、当時部下だった妻との出会いがありました。妻も以前は優績者として活躍しておりました。 結婚後、妻は退職し、専業主婦となりましたが、あるときを境に、人が変わったように明るく元気になってきたのです。聞けば「頭を取って」きたということでした。 子どもたち3人も頭を取り、変わっていく様子を見ていた私は、「良かった」と思う反面、自分だけが取り残されたようで切なくもありました。
私も頭を取るといいと、折に触れては妻から言われたのですが、私は社会的に成功し、問題のない人生をまい進しているという自負心があり、首を縦に振りませんでした。「俺は頭は付いていない」 と本当に思っていたのです。
会社破綻の後、退職金を詐欺で失い
ところが、そんな私に、試練がやってきました。長年務めた保険会社が破綻したのです。
退職した私は、退職金を元手にマンション経営に乗り出しました。しかし、勧めてくれた不動産会社は真っ赤なうそ会社。今はやりの振り込め詐欺だったのです。多額の金額を振り込んだあと、連絡しても音信不通でやっとだまされたことに気が付きました。 退職金だけでは足りず、妻に内緒で借金までして振り込んだそのお金を全て一瞬のうちに失うことになりました。
頭を取って、感謝の気持ちがあふれ
しばらくは妻にも黙っていましたが、そのうち妻の知るところとなり、ついに自然の法則に沿った毎日を送るために、頭を取って本物の人間に成る道を選ばざるを得なくなったのです。頭の計算だけで人生を渡れると思い上がっていたことを思い知らされました。
頭を取る過程では、大粒の涙があふれ出し、翌日も涙が止まりませんでした。妻に感謝、子どもたちにありがとうの観(おも)いが次から次へとわいてきて、自分でも驚くほどに素直な自分を観じていました。 同じく自然の法則に沿って歩もうとしている仲間や、そのサポートをしてくれる地元の方々の存在がありがたく、感謝の気持ちがあふれました。
三法行の普及が天職に
頭が取れると、自然の法則に沿って歩める三法行を妻とともに繰り返し、地域の方々にも体験していただく教室を開催させていただくようになりました。
自分はまともだと思っている人でも、三法行を必要としない人は一人もいません。また、大小さまざまな問題や不安を抱えている人も多く、こうした方々が大自然のエネルギーを吸収できる超写経などを体験することで、次第に元気を取り戻していかれるのを見ることは、何よりのよろこびとなりました。 自分もたくさんの方々に支えられて今日の日がありますので、出会った方々を手厚くサポートさせていただきたいと思っております。
こうして縁のあった方から電話で相談を受ける中 で、私の声を聞くと癒やされると言ってくれる人もいて、ますます元気がわいてきます。 今は、新たに恵まれた仕事を地道に務めながら、三法行の普及に携わることができることが、自分の天職になりました。
夫婦の足並みがそろい、子どもも活躍
こうした歩みを経て、以前は何か波長が合わないこともあった妻とも、晴れて赤い糸と呼べるほどの夫婦になり、たとえけんかをしてもあとをひかず、同じ方向を向いているような気持ちで、すべてが円滑にいっているのを感じています。
生活にも変化が生まれ、長男夫婦との同居が決まり、二世帯住宅を建築するなど、うれしいことが続いています。子どもたちも、みんなそれぞれ一般社会で自身を発揮し活躍して おります。 誰もが大自然の法則に沿える三法行を楽しく行えるようにと願っています。