私は秋田県の自然豊かな村に2人姉妹の長女として生まれました。祖母が豆腐屋を、父が木工所を営み、両親は多忙でした。気が強い祖母に苦労している母に似て、私も気弱でした。
家族がマイナスの連鎖に
父が大きな事業を起こしたのは、妹が16歳のときでした。父の事業はうまくいかず、その中で妹は精神を患うようになりました。それから母は胃ガンに、父はそううつ病に、祖母はくも膜下出血で寝たきりに……家族はマイナスの連鎖に巻き込まれていったのです。
自然の法則に出会って
結婚した私は、嫁ぎ先でも不安に明け暮れていたのですが、ある日、1冊の本を通じて大自然の法則と出会うことができたのです。
幼少のころ、私は大病で入院していたとき、大いなるものの存在とエネルギーを感じる不思議な体験をしたことがありました。その後、私は生命の危機を脱したのです。
実家の家族の病気で不安の日々を送っていた私は、再び、幼いときと同じ大宇宙のエネルギーを体感し、その後、1冊の本をいただいたのです。
気の小さかった私の器が大きくなって
本を読んだときには、本当の宇宙の創造主、「天」に出会わせてもらえたと思いました。幼いときに病死の危険にさらされた自分が生かされてきたのは、この日のためだったと。
それから、私は、床ずれから感染を起こして入院中だった主人の母のために天行力(てんぎょうりき)手帳が欲しいと思い、家の問題を解決するために、まず自分が頭を取る決意をしました。
夫に気持ちを話すと、三法行(さんぽうぎょう)も体験していない夫がわかってくれて、本当に不思議だと思いました。頭を取りにいく準備段階で、気の小さかった私の器が大きくなって、何があっても動じない自分になっているのもわかりました。
私は、頭を取るとともに、家に流れているものを変えることのできる過程を歩むことにしました。すると、「お義母さん、大丈夫!」というおもいがわいてきて、その後、とても難しいと言われていた手術が成功したのです。私は大自然の法則に確信を強めました。
「命を助けていただいた恩返しをしたい」と
頭を取る過程では、「自分は何をしたいのか?」と自問自答していると、「人を救いたい」「人のために役に立ちたい」「命を助けていただいた恩返しをしたい」というおもいがわいてきました。
ワンマンで反発していた父に対しても感謝の気持ちがわいて、「大事なのは道徳なんかじゃない。人間にはすべて必要なものが備わっている」とよろこびが込み上げてきたのです。
頭が取れると、人のために自分を使うことがうれしく、ただただ出会った人に大自然の法則を伝えていました。
家族も頭を取り、負の連鎖が断ち切られて
そんな私の姿を見て、妹、夫、母……、さらに2人の息子、妹の息子が続いて頭を取りました。頭を取ると大自然のエネルギーを吸収でき、法則に沿って歩める三法行を繰り返すようになり、家の中に受け継がれてきていた負の連鎖は断ち切られ、次第に問題が気にならず、笑いに満ちた毎日を送れるようになっていたのです。
仕事でも書道教室が繁盛し、生徒がどんどん増え、4つの教室を持つようになりましたが、人生の使命に目覚めた私は、大自然の法則を伝えることを天職として歩むようになっていました。
その後も、地域の方が次々大自然の法則に沿った生活を送るお手伝いをさせていただくのは、何よりもうれしいものでした。
妹の死を乗り越えて
しかし、精神を病む妹の世話は、その後も続きました。妹は、それでも私と一緒に三法行などを繰り返し、内面も外観も、話す言葉も違ってきていました。
けれど、そうして喜んで生活を送る中での2009年、突然妹は旅立ってしまいました。精神病は愛の枯渇だとも言われていますが、本当にその道程は妹に愛をそそぐ繰り返しでした。私は大変な毎日を送っていましたが、突然の妹の死には、大きな悲しみが襲ってきました。
悲しみから立ち直ることができたのは、再び自然の法則の普及・布教により、ご縁のあった方が三法行によりよろこびに目覚めていくお手伝いをしている過程からでした。
大自然の法則を伝え
地元の方と一緒に、毎月、超写経のすすめ教室、十文字クロス教室などを繰り返し開催している中で、超写経を体験し、三法行を行う方が次々と生まれています。
こうした私の歩みを見守ってくれている主人とは、この世にただ一人の「赤い糸」のパートナーという実感があります。
大自然の法則に出会う前は、人前に立つと頭の中が真っ白になり、ものも言えないほどでしたが、今は何があっても動じず、人に頼られ、手をさしのべてあげられる自分になりました。
この世で唯一観(おも)いをプラスに変えることのできる超写経の体験に、超写経のすすめ教室へ、また、人生とは何かをひもとく十文字クロス教室に、ぜひお越しいただきたく思っています。