私は、恐ろしいほど厳格な父親と、ちょっと変わった、芸術肌の優しい母親との間に、和歌山県に生まれ、両親に弟と祖父母、祖母の姉と知的発達の遅れた子ども、父の妹、腹違いの姉という複雑な大家族の中で育ちまた。明るく楽しい家族とはほど遠く、何かいびつな感じの家族でした。
何かいびつな感じの家族
年の離れた父母はけんかが絶えません。母は子育てよりも、祖父母たちの食事の世話に追われ、また、母が若いからとちょくちょくお節介にやってくる叔母たちにイジメられ、いつも疲れている様子でした。
その中で育った私は、なぜかいつも寂しく、たえず人の目を気にし、自分の素直な気持ちを口にすることなく、じっと大人たちを冷たく観察しているような、かわいげのない子どもだった気がします。
自由を求めて
家の暗さと束縛された感じに耐えきれず、高校の卒業を機に、私は家を出て大阪の大学に進学しました。正義感が強く、警察官志望だった私は、法律を学びました。何もかもが自由で、家で何が起こっていようが自分には関係ない、自分のことだけを考えていればよい楽しい生活でした。
大学を卒業した私は、仕事面でも自由な方がいいと、警察官ではなく会社員になりました。しかし、学生のころはともかく、社会人となれば、そんな生活が長続きするはずはありません。営業の仕事の厳しさもあり、自分が望んでいるのとは違う方向に流されている自分がいました。上司ともよく衝突していました。
七観行に涙がこぼれ
大自然の法則に出会うチャンスが訪れたのは、苦しくて苦しくて、どうしていいかわからず悩んでいたある日のことでした。
久し振りに帰省したとき、和歌山駅で受け取った1冊の本。すぐにその本を読み終えると、深い感銘を受けた私は、数日後、講演会に参加しました。その時のことは今も忘れられません。スクリーンに映し出された七観行(ななかんぎょう)が目に飛び込んできた瞬間、なぜか、やっと私は助かる、楽になれる、と涙が出てきたのです。それから、頭を取りにいきました。
頭が取れて不思議なくらいに変わって
頭が取れると、なぜあんなに小さなことでくよくよ悩んでいたのかが、不思議なくらいに自分が変わっていました。見るもの、聞くもの、全てが新鮮で、同時に感謝が込み上げてくる毎日になりました。辞めようと思っていた仕事も、前向きに取り組めるようになり、頑張ることができました。
私の変わった姿を見て、会社の友人や、母と弟も頭を取りました。家の状態が大変で精神的におかしくなりかけていた母は、頭が取れると、すっかり元気になり、自分の思っていたことを口に出せるようになりました。
目に見えない真理を体得した私は、法則を感じたい、大きな人になりたいと思い、しっかりと自然の法則に沿った実践の繰り返しのできる過程を歩みました。そのときの体験は、何物にも変えられない宝になっています。
初恋の人と結婚
その後、私は郷里で、初恋の人と結婚しました。けれど、10年以上の月日を経て再会したとき、彼に昔のような輝きはなく、このまま放っておけない、というものがありましたが、正直、結婚は「一かばちかの賭け」という感じでした。
一緒に幸せに暮らしていきたいという強い気持ちを伝えると、彼も一緒に三法行を始め、頭を取りました。
けれど、それからの道のりも決して平たんなものではありませんでした。どこかまだ違和感を感じるところがあり、つらい日々もあり、離婚を考えたこともありました。初めて三法行ができない日々が続きました。そのときは、毎日泣いていた気がします。
三法行で希望が見え
しかし、ある日、心の中に変化がありました。たまに三法行をやれた日には、現状は何も変わらないのに、1パーセントの光(希望)が心のどこかに見えたのです。たくさんの人の支えがあり、少しずつ問題が解決していき、元気を取り戻していった彼。この体験を通して、人間は1パーセントの希望さえ捨てなければ、何とかなる。――三法行はすごいと思いました。それからは、再び欠かさず三法行の繰り返しができるようになりました。
その後、子どもが生まれ、さらに法則に沿った日々を歩む中で、私たちは赤い糸夫婦になれました。
親子交流会から三法行をやる仲間が
私は、子育てや仕事で多忙な毎日を送りながらも、自然の法則を周りの方に知っていただくために、自分のできることをと思い、親子交流会を開催するようになりました。縁あって、今同じ場所、同じ時間を共にしている目の前の人を大切にしていこうと思ったのです。
何人ものママさんたちが集まったこの会は、親同士、子ども同士が仲良くなり、互いに悩みを打ち明け、みんなが時に涙を流すほどに感動して、前向きになっていく会でした。
その交流会が、超写経体験会へとつながり、三法行を行うようになった方もいます。中には、超天行力天授大祭に一緒に参加し、感動を分かち合った方もいます。
目の前の人を大切にすることは誰でもできます。その延長線上に大自然の法則があると思うのです。これからも、子どもに親の背中を、自信を持って見せられるように、当たり前のことを当たり前にやり、思いやりを持って歩ませていただきたいと思っています。