兄と2人きょうだいの私は、長崎県壱岐市の農家に生まれ、両親の愛情を受けて育ちました。同じ壱岐市内に仲の良いいとこがいて、小さいころは家も近く、姉妹のようによく遊んだものです。いとこの中でも一番仲がよく、思えば、そのころから、2人は自然の法則に出会えるようにつながっていたのかと思えます。今でも声や話し方、筆跡がそっくりで、よく驚かれます。
心身の不調の中で法則に出会い
私は高校卒業後、福岡市で2~3年事務職を勤めましたが、祖母の具合が悪くなったことから、壱岐に戻り、出会いがあって結婚し、男の子を授かりました。しかし、幸せは長く続かず、離婚して一人息子を引き取って育てることになりました。重圧が一気に両肩にのし掛かる中で、ただ息子のためにパートなどの仕事で生計を立てながら、息子の成長のために夢中で生活していました。
そんな生活で、中二の多感な時期の息子を抱え、鬱(うつ)のような状態に陥り、肉体的にも不調をきたすようになっていたある日のことです。福岡に出向いたとき手にした1冊の本を、初めてじっくりと読んでみました。同じ本を手にして、頭を取っていたいとこと話すうち、その本のことが話題に上ったことからでした。「あの本、読んでみて。魂に響くよ」と彼女が言うので、読んでみたら、本当に魂が揺さぶられたのです。
その後、私は本部に問い合わせをして、福岡で行われた三法行(さんぽうぎょう)のセミナーに足を運びました。セミナーの中では、「最高ですか!」と問い掛けられたのですが、涙があふれて「最高です」と答えることができませんでした。押さえつけてきたものが中から込み上げてきて、生かしてくれている大自然、天の存在を感じた瞬間でした。
右脳が開花した息子の変化
その後、いとこが勧めてくれたこともあり、息子と一緒に頭を取りにいきました。息子の将来のことが一番心配で、私のような人生をたどって欲しくないという一念でした。
頭が取れて、右脳が開花した息子の姿は、何よりうれしかったです。息子は自分に自信がついて、学校で舞台に立って発表したり、演奏をしたりして、リーダーシップを発揮するようになり、目を見張るようでした。成績も上がって、高校には越境入学できて、卒業後は、福岡の大手会社に就職できました。
息子の姿がうれしくて、私も、三法行をしながら、息子のために家に流れるものを正常化していく繰り返しも行いました。
別れた夫への憎しみが消え、自分が好きに
仕事が忙しく、三法行がおろそかになると、見ているかのようにいとこから電話が入ります。「三法行やってる?」と言われると、「また……?」と思うこともありましたが、素直に実践する自分があって、その繰り返しで、次第に三法行をしないでは一日が終われないように変わっていきました。
そうして半年、1年……とたつうちに、自分が変わっていくのがわかったのです。ふさぎ込んでばかりいた自分が次第に明るくなって、いろいろな場に誘ってくれたり、声を掛けてくれたりする人が増えてきました。私の姿を見た両親と兄も、三法行を実践するようになりました。
別れた夫の家の墓参りをさせてもらいたい、と思えるようになったのは、そんなある日のことでした。「縁あって一緒になり、息子を授かった夫の先祖に感謝の気持ちを伝えたい」という気持ちが無意識にわいてきました。夫はそのとき再婚していましたが、ほんのわずかな時間で墓参りをさせてもらいました。すると、それまで抱いていた夫への憎しみが消え、夫や、先祖に感謝とともにわくわくした気持ちを味わうことができたのです。そんな自分が好きになれて楽しくなりました。
本当に喜べる自分になり
頭を取って法則に沿って歩む中で、本当に喜べる自分となり、両親や家族も平穏です。兄も結婚し実家を守ってくれ、一人息子も結婚し、幸せに暮らしています。先祖が後押ししてくれているとつくづく感じます。
15歳から習って、師範の資格もある踊りの仲間や職場の同僚でも、超写経や三法行の実践をする人が次々と出てきています。三法行を一緒に実践すると、より楽しく、日々の元気の源になっています。こうして歩んでいる中で、以前よりこだわりがなくなり、しっかりと自分の中に中心が入ったようにも感じています。
九州の島で、不便なところですが、意味あってここで歩ませていただき、さまざまな方とのご縁をいただいています。これからも、皆さんと一緒にあさなる会を繰り返し、感謝とよろこびの観(おも)いで、歩ませていただきたいと思っております。