私は、生まれたときに股関節脱臼があり、そこにカリエスまで患って、幼稚園に入園するまで、母に背負われて毎週通院していました。そのころ、私の父も結核を患っており、兄も学校の健康診断のレントゲンで胸に影が見つかり、祖母が付き添って通院していました。
家族3人が病気の状況を気迫で乗り切った母
家族で3人が病気で通院という状況が何年も続き、母は気の休まる間もなく、その苦労は私の推し量れないほどだったのではないかと思います。父が重病だったことから、母は自分が渡邉家を支えなければという思いと気迫で乗り切ったのです。
幼稚園に入ってからも、私はまだ丈夫とは言えず、病院とお友達の状態が続いたのです。そんな私や家族を抱えた母は、どんなに大変でもつらくても、何も言わず黙々と、その状況を受け入れ生き抜いてきてくれました。そんな母に、依頼心の強い私は、何かあると甘えてきました。96歳になる母に、今も甘えっぱなしの気がします。
頭が取れて一回り大きくなり
そんな私は、1995年に自然の法則に出会って頭を取りました。
最初は、「頭が取れている」ということを実感できませんでした。その後、日がたつにつれ、今までとは違う自分を発見しました。何か、自分が一回り大きくなったというか、気持ちがゆったりとしてきたように感じられ、これが頭を取ったということかなと、思ったりしていました。
その後は、誘われるまま天行力大祭(てんぎょうりきたいさい)や講習会などに参加していましたが、ずっと行っていた三法行の繰り返しがある日を境に止まり、長い年月がたってしまいました。
三法行を再開し、出会いの輪が広がり
そんなある日のこと、職場の休憩室で、見覚えのある風景が目に飛び込んできました。それは、ある方が黙々と何かを書いている姿だったのですが、以前は私も繰り返しやらせていただいていた法筆(ほうひつ)であると、すぐに分かりました。
思わずその方に声をかけ、三法行の話で盛り上がりました。本当に、運命的な出会いでした。その方を通じて、三法行をやっているたくさんの方と知り合いになりました。
三法行を再開した途端に、どんどんと出会いの輪が広がっていく様子は、まるで自分の世界が花開くように感じられました。あの日の出会いは、まるで運命の糸に導かれ、たとえ年月がたっていても、私が人様のために果たす大役がある、と気付かせてくれているように思えました。今は仲間の輪に加わっているという感じが、日々の生活においても励みになります。
何かうきうきして高揚感があり
三法行を通じたさまざまな行事や活動に参加していると、何かうきうきしてきて、楽しくてはじけるような気持ち、高揚感があり、「何て楽しいことをやらせていただいているんだろう!」とスキップしたい気持ちになったりします。
以前の私は、自分の中で、どうすればよろこびがわくのかなど、一生懸命に考えたりしました。そんな私が今は、自然体で喜べているのですから驚きです。考えてみれば、もともと中にあるよろこびがわくというのは、人間にとって自然なことなのです。
じっさい私は、何か大きな目標に向けて頑張るということもなく、ただ今のままできる繰り返しをコツコツとやらせていただき、毎日を過ごしているだけなのです。
必要なものは整えていただき
一つひとつ繰り返すというだけで、湧き水のようにわいてくるよろこびがあります。これは人間として「ただ繰り返しやる」ということに気づけたから、そのごほうびなのかな、と思ったりします。本当に、今は、自然体でいられる自分がうれしいです。
また、たとえお金持ちでなくても、日々必要なものは整えていただけていることは、幸せなことだと思えます。何か目に見えない力が作用して現象が起き、物事が展開し、一番妥当な結果に収まるんだということを常々感じるようになりました。
母に感謝の気持ちで
その後、私は、天声で示されたあるプログラムに参加しました。一番変わったと思ったことは、「ありがたいな」「ありがたいな」という気持ちがわいてきたことです。
これからが、自分の力を発揮する時。私を産み育ててくれ、自然の法則に出会わせてくれた母に「ありがとう」の気持ちを伝えながら、毎日毎日を、生活していこうと思います。