私は、教師を務める両親の間に、兄と弟と3人きょうだいの真ん中に生まれました。生まれたばかりの赤ん坊のときからほとんど笑わない子で、身内からは「この子の笑いに千両どころか万両の価値がある」と言われたほど、赤ちゃんらしくなかったそうです。
孤独感を抱き、一風変わった子供で
幼年時代も同い年の他の子と比べ、どこか一風変わっていたようです。人の顔色を見ながら「この人はこのように言っているけど、本当はきっとこういう人なのだろう……」というように、人の心の中のことを考えたりしていました。漠然と「自分の人生は、普通の人とは違う人生なのだ……」といった気持ちや孤独感を抱いていた記憶があります。
心臓発作をたびたび起こす祖母を癒してやりたいと
仕事柄、家を空けることが多かった両親に代わり、そんな私を育ててくれたのは、祖母でした。14歳のときには、祖母と2人で神奈川県へ引っ越しました。
祖母はもともと心臓が弱く、たびたび心臓発作を起こし救急車で運ばれていましたので、成長とともに、私は、祖母の看病で学校を休むこともたびたびありました。
私は苦しそうな祖母の姿を見ながら、「おばあちゃんに元気になって欲しい」という一心で肩をもんだり、マッサージをしてあげたりしていました。
祖母から「気持ちいい」とほめられることがうれしくて仕方なかったことを覚えています。振り返ってみれば「癒しへの道」はそのころから始まっていたように思います。
18歳で自律神経失調症と胃潰瘍に
祖母の看病に当たっていた私でしたが、自分自身も健康ではなく、18歳のときすでに、自律神経失調症と胃潰瘍を病んでいました。
自分を変えたい気持ち、健康になりたい気持ちがいつも自分の中にあったからでしょう、ある社会教育団体と出会い、「人の道・生き方」を学び、「努力・精進しか自分を変える方法はない」という信念を培いました。
健康を求め、とある団体で熱心に活動
その信念のもとに、娘時代のほとんどを、その団体が主催する講演会や若い女性の集いなどに積極的に参加したりして過ごしていました。
その活動を、結婚して2児の母になってからも続け、妻として、また、母としての生き方を学び、充実した生活だったと思っていました。
三法行にひかれ
そんなある日のことでしたが、長女の同級生のお母さまとお話をしているの中で聞いた言葉が気になりました。「三法行(さんぽうぎょう)は努力や頑張ってするものではないのですよ。肩の力を抜いて喜びながら楽しんでやるものなのですよ」と。
十代のころから「人の道」を学び、「努力・精進で人生は変わる」、という信念を持ち続けてきた私にとって、とても興味深い言葉でした。
その方を通じて、三法行を始めることになりましたが、「そんな楽しいことをして人間が変わるはずはない」と思う反面、どうしてもひかれるものがありました。
「肉体に左右されない無条件のよろこび」を体験
その後、三法行を始めてわずか数ヶ月で、すばらしい体験ができるというので、「頭」を取るプログラムに参加しました。その過程では、どんどん体が熱くなり、肚から込み上げる「肉体に左右されない無条件のよろこび」を体験しました。
長男の登校拒否
ところが、頭を取って3年ほどして、一つの試練が訪れました。長男が3ヶ月で幼稚園を退園し、小学校高学年まで登校拒否になってしまったのです。
毎朝、主人と長男の葛藤が繰り広げられました。力ずくで学校に行かせようと、長男に手を上げる主人と、石のようにかたくなになって絶対に学校に行こうとしない長男とのおもいが家の中にうずまいていました。
三法行でおもいが整い
でも、頭を取った私は、「すべては試練であって必要なこと。苦しみではない」というおもいが込み上げ、三法行を繰り返していることでおもいが整えられ、こうしたことも大切な時間として受け止めることができたのです。
長女が高校受験、そして長男が小学校を卒業するころ、私は24時間・365日、大自然の法則に沿う特別な過程を歩むことになりました。
その過程を歩むことが、真の親としての道に通じる、という信念があったからこそ歩めた道だったと思います。
長男の登校拒否がなくなり
長男は、小学6年生のとき、突然、登校拒否がなくなり、学校に行き始めました。
そして、学校の卒業の際に「お家の人へ」という感謝の手紙を長男から手渡された場面は、今でもはっきり覚えています。「迷惑をかけてすいません。生活の中の一つ一つが良い思い出になって心の中に残っています。これからも迷惑をかけることがあるかもしれませんがよろしくお願いします」。この手紙は今でも大切な宝物です。
長男が登校拒否から突然、学校に行き始めたのも大自然をつかさどる「天」の計らいで道をつけていただいたのだ、と感じました。
真の癒しへのおもい
こうして私は、「人を癒してさしあげたい」という気持ちをずっと持ち続けていたこともあり、本格的に癒しの勉強を始めました。アロマ・リンパ・バランス療法などさまざまな癒しを修得していきました。その歩みを続けていく中で真の癒しについてのおもいが変化していきました。
これまでは「人にやってさしあげることが癒し」だと思っていましたが、これには限界があります。そうではなく、「天から授かったこの肉体があったからこそ味わえるよろこびを体感していただくこと」そして、「その人の肉体100%最大限に発揮できる人間づくりのお手伝いをさせていただくこと」が真の癒しではないだろうか……、と感じられるようになりました。
真の癒しで皆さんに喜ばれ
2004年に、真の心身再起一泊二日研修がスタートし、これまで身につけたアロマ・リフレクソロジーをやらせていただく機会に恵まれ、皆さんの喜ばれる姿には、何ともいえない感動を味わいました。
2005年6月には、真の心身癒しセンターが誕生し、スタッフのチームでスタートを切らせていただきました。そして、真の心身癒しセンターをやらせていただいてきました。
おもい描いていた癒しの空間が実現
こうして歩んできた私には、「赤い糸」がもう一つの欠かせないテーマで、そのプログラムにも参加しました。夫婦が赤い糸であるかどうかが、家庭を始め、世の中の現象を左右するという法則があります。まず自分がその法則に沿っていくためです。
その後、かねてよりおもい描いていた「華音(かのん)」という名での癒しの空間が実現する運びになったのです。人生は観(おも)いの成すがまま、人間の本体である観いが現象を形作る「観自在(かんじざい)」を体感しました。「華音」とは、「明るい華」「よろこび華」「楽しい華」など、さまざま伝わってくるプラスの波動を表しています。
赤い糸に近付くための癒しを
男女が存在していることは、それぞれの性を全うできるすばらしさがあるからだと思います。行(ぎょう)あっての肉体であり、肉体あっての行(ぎょう)です。「華音」では、肉体を持つことのすばらしさ、快適さを感じていただき、まず、肉体を癒し、整えたところから、人生の一つの使命である赤い糸へのステップとして歩んでいかれるようにといつもおもいを込めて施術に当たらせていただきました。
癒しを体験されたお客さまから「異次元空間に行ってくる感じです」とか、「通常の癒しとは全然違いますね」という声をいただきました。
人間本来の体と心を育む教室に
すべての女性に幸せな出産をしていただきたいと思わずにはおれませんが、それは即席でできるものではありません。体のどこにも緊張のない、人間本来のゆるんだ肉体に戻し、そうした体を日々育んでいくことが大切なのです。そのような体や、すべて受け入れられる絹のような心を育んでいく教室では、娘時代に育む生活や女性の体作りに取り組んでいます。
「真の赤い糸」に向かって
今年、10月3日、書籍『別れなさい。』が出版され、私は赤い糸より次元の高い「真の赤い糸」がこの世の全ての人に存在することを知り、さっそくその書籍にある内容の尊い体験をさせていただきました。
真の赤い糸に近付く繰り返しをしながら、全ての方々が真の赤い糸を手にし、幸せな人生を送るお手伝いをさせていただきたいと思っています。