私の母は、33歳のとき、「急性骨髄性白血病」で亡くなりました。私が、5歳のときでした。4人の子どもを残して亡くなった母の気持ちは、どんなに無念だったかと思います。 母亡き後、農家の仕事、子育て……と、父には限界がありました。見るに見かねた親戚の紹介で父は再婚。義理の弟も生まれました。
若くして母を亡くし、つらい毎日に
しかし、継母(けいぼ)は家事が一切できない人で、炊事、洗濯、掃除は私たち子どもの仕事になりました。継母は学校の行事にも一切足を向けることはなく、行事のお弁当は、子どもたちが自分で作りました。 継母は、父の言うことにも従わず、口答えをし、父はお酒を飲んでは、継母に暴力をふるう毎日でした。 私たちきょうだいは、継母が母親という境遇で、義理の弟に知的障害があり、近所でも学校でもいじめられました。家出も何回かし、夜になると、「早く母の所に行きたい……」と、星を見ては思う毎日でした。
結婚後は主人の女性問題で苦しみ
そんな私でしたが、ある日、気持ちが変わったのです。――「今日のことは今日で忘れよう、また、明日は明日の一日が始まるんだから……」と自分で自分に言い聞かせて、毎日を過ごすようになりました。 けれど、早く家を出たいと思い、学校も就職も自分で決めました。 家を出て、大手IT会社に勤めることができた私は、元主人と出会って結婚しました。しかし、長女が生まれてから、主人の女性関係が始まり、二女が生まれてからも続いたのです。その上、主人は借金も抱え、私はこれ以上結婚生活は無理だと思いながらも、離婚は絶対にしたくありませんでした。――片親だけの子の寂しさは自分がよく分かっていたからです。
診察券が10枚もあった私が健康に
めいから「頭を取る」ことを聞いたのは、そんなある日のことでした。自然の法則が書かれた本を何冊か読み終えると、「これだ、私の探してたものは!」と思いました。それまで私は人のために何かやりたいと思いながらも、何をしたらいいのか分からずにいました。 長年マイナスの観(おも)いを刻んできていたためでしょう、診察券が10枚以上あり、持病の心臓病が悪化していた私ですが、「頭」を取る過程を経て、健康を取り戻すことができました。それだけではありません。このよろこびを伝えずにおれなかった私を通じて、家族・兄弟・両親・同僚・親戚などが次々と天に出会い、それぞれが答えをいただいたのです。
先祖も家族も幸せに感じ
主人とは結局別れることになりましたが、仕事、子育てをしながら、皆さんの支えを受け、三法行を繰り返し、家に流れているものを変えてくることができました。その原点は、自然の法則に出会い、問題の原因である「頭」を取り、人間本来のよろこびに目覚めたことです。 子どもたち2人も時に大変な経験をしながら、いつでも私とともに歩んでくれました。 さまざまな過程を経て、この子どもたちを授けてくれた、元主人にも今は感謝できるようになりました。
ただ感謝、未来も明るく
振り返れば、私なんか産んでくれなくてよかったのに……と、早くに亡くなった母のことを恨んだこともありました。継母のことを恨んでいたことは、もちろんです。 本当に、さまざまなことがあり、とても語り尽くせるものではありませんが、今は何もしこりとして残っているものはありません。あるのはただ「感謝」です。 先祖も家族も幸せに満たされているのが感じられ、子どもたちの未来も明るく思えます。これからも、皆で手を携えて三法行を繰り返していこうと思います。