私は秋田県に生まれ、20歳までを秋田県で過ごしました。体を動かすことが大好きだった子ども時代は、冬になると、リンゴほっぺで弟と雪をかき集めて坂を作り、ミニスキーで暗くなっても外で遊んで過ごしたものです。
両親の仲が悪くなり、家を出たい気持ちに
中学・高校時代は陸上部で頑張り、たくさんの友達に囲まれていました。最初、祖父母(継母)の家にいたのですが、母は継母(けいぼ)との折り合いが悪く、父にせがみ、家族4人はその家を出ました。
その後、父は姉の子2人を受け入れ、経済的にとても大変そうだった時期もありました。家を出ても、長男の父にさまざまなことが押し寄せてきたことは、子どもながらに感じていました。20代で親を旅行に行かせてあげるような優しい父は、陽気で歌と踊りが大好き。私はそんな父が大好きでした。
しかし、いつしか両親は、何かにつけて互いを責めるようになっていました。家は悪いことがいつも忍び寄ってきてもおかしくない、暗い雰囲気に変わっていました。私は、家にいるのがいつも苦しくて、「いつか家を出るぞ! この家にいたらダメになる!」と家を出ることばかり考えていました。
弟の自殺の知らせが
あこがれの都会に出たときは解放感でいっぱいでした。でも、両親に感謝もできない人間は、いいところまで行っても失敗を繰り返してばかりでした。家から離れてもいつも家の問題に振り回されているところに、止めを刺すかのように届いたのは、20歳の弟が自殺したという知らせでした。どんなにか動転し、弟が哀れで、泣いたことでしょう。でも、私の力ではどうすることもできませんでした。気ばかり張って、苦悩に満ちた空回りの人生でした。
頭を取って堂々巡りを脱して
結婚から2ヶ月後、そんな私に転機が訪れました。地方紙の広告を見たことから、自然の法則を説いた1冊の書籍を手にした私は、どうしても問題の原因である「頭」を取って生まれ変わりたいと、主人にぶつかりました。
「頭」が取れると、中からふつふつとよろこびが込み上げて、止まらないのです。主人と主人の母も頭を取り、家に流れているものを変える行をすると、待望の子どもを授かりました。当時四十歳代だった主人は、目に入れても痛くないほどのかわいがり方でした。
こうして、私は人知を超えた大自然の力を借り、堂々巡りの日々から抜け出すことができたのです。私は、人は皆本来の「よろこびの表現体」に生まれ変わることができることをご縁のある方にお伝えせずにはおれませんでした。今、さまざまな問題に苦しんでいる人間のマイナスが、社会や地球を暗いものにしていることを。この地上でその状況を変えるために人類救済が行われていることを。
重荷を一つずつ下ろして
その後、主人とは別々の道を歩むことになってしまい、私は生活に追われて大変な状況に置かれましたが、三法行(さんぽうぎょう)などはこつこつ繰り返していました。
2001年には波動の高い三法行が誕生して実践をするようになり、その後の歩みで、弟のまことの供養をしてあげることができました。
また、親子で天華人間家族愛親子育成塾院の過程を歩み終えることで、私自身の中にあった、両親への念の刻みが変わり、気持ちが本当に楽になりました。
息子は、スポーツも得意で、友達も多く、頼もしさも感じられます。それぞれ忙しい毎日でも、しっかりと親子の交流ははかれ、互いに信頼でつながっていて、将来に不安もありません。
私は一歩一歩前進してくる過程で、自分一人ではどうすることもできない重荷を、一つずつ下ろしてはほっとする体感をしてきました。そのたびに私には、自分につながっている先祖や家族のよろこびが伝わってくるのです。
問題があったからこそ、大自然の法則に出会え
それから私は、一人でも多くの方に自然の法則に出会っていただくために、地元で「超写経のすすめ教室」を繰り返し開催してきました。教室を通じて何人もの方が超写経に触れ、人間本来のよろこび生活に目覚めてこられたのは、何よりもうれしいことです。
少し遠回りをしたかのような一時期も、「必ず帳尻が合う」という法主さまのご法話の一節を思い返しては、歩んできました。こうしてよろこびの今を味わうことができるのは、頭を取った原点があったから。さまざまな経験は、人生に必要な器を作るためだったようにも思えます。「揺るぎないものをつかんでいないと、公の教室開催で、人のお世話はできないね」と参加した方に言っていただいたこともあります。
問題があったからこそ、大自然の法則に出会うことができました。あなただって大丈夫! ゆっくりでいいじゃない! ともに歩ませていただきましょう。