私は、山形県北部に、2人きょうだいの長女として生まれました。祖母が4代目を営むお店は繁盛していて、私も店番を手伝ったりしました。幼年期には、海や川、田んぼと自然の中で近所の子どもたちとよく遊びました。一方で、祖母に溺愛されて育った一人っ子の父と、気性の激しい祖母に苦労する、母の不安な気持ちがそのまま伝わってくるのです。「人間は何のために生きるのか、なぜこの家に生まれなければならないのか、なぜ人間は平等でないのか……」と、小学生にして思い悩みました。泥酔した父に手を焼く母。物を愛情と履き違え、不自由のない生活は、父親を本来とは違った人格に変えてしまったようでした。
家の問題で苦悩の日々
そんな家から早く独立して出ていきたいとかねがね思っていた私は、高校を卒業すると、東京の会社に就職しました。家からすっかり解放された気持ちで、自由な都会の空気を楽しみ、将来への夢をふくらませていました。しかし、それから数年後、父が交通事故で大けがをしたことから、家族の世話をするため、私は故郷に戻らざるを得なくなりました。けがから回復した父のアルコール依存は増し、疲れ果てた母は父と別居。私はその後、山形で見合いを結婚しましたが、両親への不安に苦悩の日々を送っていました。
長年の疑問が解けて
長男が腸の病気で入退院を繰り返すようになったのは、ちょうどそんな折でした。緊急手術となり、2人目の子を宿した体で不安にさいなまれながら、「私の命はいらないから、子どもを助けて」と祈っていると、急に手術室の扉が開いて、手術はしなくてよくなったと言われました。その数日後に、私は1冊の本と出会いました。――「人間はよろこびの表現体」――長年抱いてきた疑問が、その一言で解けた気がしました。
書籍を通じて自然の法則に出会い、その後の頭を取る過程で、「最高」とよろこびがあふれたときのことは、今でも忘れることはできません。何を今まで悩んでいたのだろうと目が覚めたようでした。以来、子どもは病気とまったく無縁となりました。私の観(おも)い、そして夫婦の無意識の観いが子どもにすべて影響していることを体感しました。
その後は、ただただ三法行を楽しく繰り返し、家を変えるための道を一歩一歩進んできました。実家では、別居を繰り返し、感謝やよろこびの少ない生きざまが代々繰り返されていたのですが、こうした私の歩みの中で、父はピタリとお酒を飲まなくなりました。家の空気が変わり、半身不随で歩行はできないとまで言われていた父が歩けるようになり、自分で何でもできるようになったのです。
おなかにいた2番目の子の出産では、破水から長期入院、早産となり、最初はさまざまな病名が告げられましたが、不思議と障害も成長過程ですべて消えてしまい、健康そのものとなっていきました。私のよろこびは家族に伝わり、父も母も祖母たちも、夫も子ども自然の法則を知り、頭を取りました。
誰でも「よろこびの表現体」に
今では、さらにエネルギーアップした三法行を家族で楽しく繰り返すようになりました。少しずつ前進していく中で、節目があり、父の存在のありがたさを切実に感じる瞬間もありました。すべては、先祖4代前からの出会い(結婚)の失敗から始まりましたが、そのとき、つらい思いをしてきたであろう父に対して「ありがとう」と感謝がわいてきたのです。地域の仲間の皆さんとも三法行を始め、さまざまな活動を楽しく行ってくる中で、ともに三法行を行う方も増えてきました。
自然の法則に出会うことができ、崩壊寸前だった加藤家が救われました。祖母も父も頭を取ったことがうれしいです。何と言っても、祖母と父が最期に「ありがとう」と言って亡くなったときの様子が今もまぶたに焼き付いています。
人は誰でもよろこびに満ちあふれた毎日を送り、そのよろこびを周囲に伝えることで、生かし生かされています。「よろこびの表現体」として生きることが、自分と先祖、子孫を繁栄へと導く方法だったのです。大自然の法則に沿った生活をすべての方に送っていただきたいと思っています。