私が子供のころから、両親は教育方針の違いから、よくけんかをしていました。教育熱心な母と相容れない父は、お酒を飲んでは暴れ、妹は気が休まらない家に居着かなくなりました。
父が劇的に変化
そんな家の中で、我慢をしながら、なんとか状況を改善したいとあがいていた私は、本を読みあさっては、いつもうつむき加減で、しかめっ面をしていました。
そんなある日、父が突然、生まれ変わった姿になって帰ってきたのです。穏やかになり、毎日「三法行(さんぽうぎょう)」を楽しそうに繰り返しているのです。胃潰瘍で苦しんでいた姿もありません。こんなことがあり得るのかと、私は首をひねらずにおれませんでした。
父は1冊の本を通じて、大自然の法則に出会い、問題の原因となる「頭」を取っていたのです。母も父に続いて、「頭」を取っていました。両親は熱心に、自然の法則を説き、「頭」を取るすごさを伝えてくれました。
「最高」のおもいがわき、父を許せるように
私は、父への反発心はありましたが、父をこれほど変えたのならばと、反発心を乗り越え、「思ったことができる自分に変わりたい」強い決意で、「頭」を取るプログラムに参加しました。
プログラムの過程を歩み終えると、本当にパーンと頭がもぎ取れ、「最高」のおもいがわいて止まりません。親を絶対に許せないと思っていた自分はどこかに消え、自然と笑顔があふれ、いきいきと変わっていたのです。19歳、浪人中のことでした。
大自然の法則に沿って
その後、私は大学に合格しましたが、人のために自分を使い切りたいおもいから、24時間、大自然の法則に沿って歩める3年間の過程を歩みました。その3年間で得たものが、今の自分の礎になっています。
一方、17歳でできちゃった結婚した妹は、19歳で離婚。バツイチで子持ちになりました。私は妹の子を自分の弟として面倒をみられるよう両親にかけ合い、承諾をもらうことができました。
救済のボートに乗って
休まず繰り返していた三法行(さんぽうぎょう)を、その後一時中断したことがありました。自然の法則に沿えず、寂しいおもいをしていたところ、かつて共に歩んだ仲間が、きらきらした姿で、進むべき道を照らし、前進する後押しをしてくれました。
「救済のボート」に乗ると、グレードアップした三法行を繰り返すようになった私は、劇団慈喜桜の団員としてヒロインを演じる機会もいただき、大きな励みを得ました。
超写経の実践で人々が明るい表情に
その後は、私は人間塾塾生の輝く姿を「光」と感じて、入塾を決めました。塾生として歩んでいると、強いパワーで自然と前に進め、自信が持てるようになってきました。
こうした過程をへて、私も人間塾の皆さんと「超写経のすすめ教室」を開催するようになり、私たちを通じて、三法行を実践する人が出てきました。三法行を繰り返すことで、その方が明るい表情に変化してくるのを皆で喜びあいます。
そんなとき、私は、かつて自然の法則に出会った原点を思い出し、なんとも言えず、うれしくなります。私がお世話できた方も、三法行の繰り返しでどんどん自分の中に眠っていた本来の力を発揮するようになっていました。
天華人間家族愛親子育成塾院を通じて自然体で前進
続いて、私は天華人間家族愛親子育成塾院に入塾し、3年間の過程を終えました。「弟」の面倒を見てあげたい、でも、できない自分との葛藤……。さまざまなおもいが、毎月のプログラム、毎日の簡単な繰り返しを通じて、ひとつずつ解きほぐされていきました。
本当に自分に必要なところに、身を置かせていただいたと思いました。肩に力を入れなくて、自然体で前進できるのです。弟の母親代わりにしっかりしなければならないという思い込みがなくなり、共に遊んだりして、毎日の生活の中で弟が望んでいることがやってあげられるようになりました。弟も勉強やその他の活動に集中して取り組むようになり、両親もさらに、仲良くなり変わってきました。
天職にたどり着いて
三法行を繰り返す仲間とバンドを結成し、人間の持つエネルギーや輝きを伝える活動もしてきました。
これらの歩みをへて、今私は、自然の法則に沿った生活を皆さんにご案内できる天職にたどり着くことができました。私が自然の法則に出会った原点に立ち、全ての方がよろこびに満ちた毎日を送っている姿をおもい描きながら、多くの人たちと一緒に仕事に携わらせていただいています。皆さまとご縁のある日を楽しみにしています。