私は、昭和24年、4人きょうだいの3番目、次男として福岡県に生まれました。
5歳のころ、父は会社勤めを辞めて燃料販売を始め、母は家事のかたわら父を助けて働くようになりました。二人で苦労しての商売だったようで、私は病弱な母が一生懸命家の中を切り盛りしているのを見ていました。
虚弱体質だった幼年時代
そんな両親に、体の弱かった私は4人の中で一番心配をかけました。時々床に伏している母を見て、小さなころから、何とかしてあげたい、楽になってもらいたいという一心で、母の手伝いをよくしていました。
体が重く、意思表現ができずに、いつもきょうだいの中では存在感が希薄でしたが、両親は子どもたちをみんなかわいがってくれて、家は居心地のよい場所でした。
虚弱体質だった私は、幼稚園からの集団生活でも、何かと落ちこぼれがちになりました。幼いころから、健康な体になれば何でもできる、明るくよろこびいっぱいの人生が歩めるのに、と思ったものです。
それでも、両親の温かい愛情を受けながら、ポケットに小刀「肥後乃守」一本入れて山里、川、原っぱと近所の友達と自然を相手にノンビリと過ごすことができました。
青い空と海にあこがれ航空自衛隊に
しかし、中学校時代は、体の不調から自分の世界に籠もり、やっとみんなに付いていく、そんな生活を送るようになりました。
農業高校を卒業後は、青い空、青い海と制服への憧れから親元を離れ、航空自衛隊に入隊し、24時間集団生活という厳しい仕事環境を選びました。
やがて、きょうだい4人とも、それぞれ家庭を持つようになりました。
結婚後、皆の病気で将来が不安に
私は、福岡で勤務をしていた昭和51年に結婚し、2人の子どもにも恵まれましたが、長女の強いアトピー性皮膚炎は、家庭内を暗いものにしました。
福岡勤務10年後の昭和60年には、沖縄に転属となり家族4人で海を渡りました。
長男が幼稚園に通い始めたある日のこと、私は突然妻から、「私は生まれつき心臓が悪いので明日から検査で入院してきます」と告げられました。
私は、遠く親元を離れて精神的に不安になったのかと思いながらも、驚くばかりで、なすすべがありませんでした。家族を養わなければなりませんから、自分の体質改善をして乗り切れるようにと、高額な漢方薬を服用する生活を何年もしましたが、将来への不安は尽きませんでした。
自然の法則に出会って
何とかしなければと、自己啓発の本を何冊も読むものの、納得する世界で終わってしまいます。
その後、般若心経をとなえること、書くこと、座禅することを説いた本に出会い、実践しているときに、大自然の法則と出会うきっかけが訪れました。
図書館で出会った金運に関する本は、全て自分の悪いところを指摘していました。三法行(さんぽうぎょう)を繰り返し実践していると、お金も健康も……全てが整ってくると。――凄いなと思いました。
もう一冊の本を手にして読んだところで、私は今起きている問題の原因を解決するために、頭を取る決意をしました。昭和63年のことです。何も疑わず、違和感もありませんでした。
その過程では、全てが新鮮な驚きを味わう中、貴重な体験をしました。宇宙の創造主である「天」の存在、人生の意味を十二分に感じ取ることのできた過程は、その後の人生を歩む上でかけがえのないものになりました。
頭が取れ、妻も私も健康に
生まれてこの方積み重ねてきた苦やこだわりから解き放たれ、「頭が取れた」私は、電話で妻に、飛行機の最終便に乗れなかったことを連絡し、「お母さんも頭を取ってきたら?」と問いかけると、ふたつ返事が返ってきました。
私に続いて頭が取れた妻が、「お父さん、私、生まれて初めて走ってきたよ!!」と目を輝かせながら語ってくれたことは忘れられません。
それから、私が三法行(さんぽうぎょう)を繰り返しながら、家に流れているものを変える過程を歩んでいる中、病弱な母が、「今までの人生の中で、体の調子が一番いいよ」とも言っていたことがあります。私のやっていることを通じて、母に天行力(てんぎょうりき)が流れていることを感じ、自然の法則に出会えてよかったと思ったものです。
子どももたくましくなって
こうして漢方薬の服用も止め、私は沖縄の皆さんとともに、救済活動に動き回る日々を送るようになりました。家庭の中でも共通の話題ができ、沖縄の皆さんと楽しく交流でき、家族愛の輪が広がっていきました。頭が取れた人の姿を見た人たちが、次々と後に続いていました。私の同僚も頭を取りました。
小学生の子どもたちも頭を取る修行に参加して、すっかりたくましくなり、将来の不安はどこかに行ってしまい、人類救済の使命感がより強くなっていきました。
こうして、妻を始めとした家族の協力を得て、私はしばらくの期間、救済一筋の道を歩ませていただきました。
三法行を再開し、埋められなかった穴も埋まり
その後、三法行を休んだ期間が一時ありましたが、すぐに魂の渇きを覚えた私は、三法行を再開させることができました。何をやっても埋めることができなかった大きな穴が、天の行事に参加する度に、皆さんのにじみ出る笑顔のすばらしさに触れ、次第に埋められていきました。本当に良かったと思いました。
その後も、天声で示されたさまざまなプログラムに参加してきました。
朝、目が覚めてから感謝の気持ちが肚の底からわいて行事会場に向かった日、ただただ自然の法則に沿って歩んできたことが形になり、本当にうれしかったことがあります。
「超写経のすすめ教室」で三法行のすばらしさを伝え
今、私は、仕事のかたわら、自然の法則に出会わせていただいた恩返しに、「超写経のすすめ教室」を開催しています。
この教室を通じて、超写経を体験した方が、自然の法則に目覚め、三法行を始めるようになり、よろこびを分かち合っています。
どなたでも気軽にお立ち寄りいただけますので、ぜひ一度、超写経の体験をし、大自然のエネルギーを吸収して、自然の法則に沿って歩む人間本来のよろこびを体感してみていただきたいと思っています。