私は島根県の田舎に、4人きょうだいの3番目として生まれました。商売をしていた両親は、いつも子どものためにと、朝から晩まで働いていました。血のつながりのないおばあちゃんが私たちの面倒を見てくれていました。
おとなしい子でしたが、自然の中で毎日、近所の友達と遊び回っていました。ジフテリアにかかった後は、病気もせずに元気でした。きっと私の健康は、その自然があったからこそだと、あの山や川を思い出すと「ありがとう」と胸が熱くなります。
体の弱い子どものことで苦が始まり
高卒後、一時期、京都で洋裁専門学校に行き、その後、東京に移り、酒問屋の事務員として勤務しました。その縁で見合いをし、酒店に嫁ぎました。
大人8人の大所帯で、朝・昼・晩の食事の用意だけでも量の多さに驚いたものです。すぐに長女、長男を授かり、やがて次男も生まれました。
しかし、長男がとても体が弱く、そこから苦しみが始まりました。何とかこの子を、この子を……と、あちこちかけずり回っていました。
そのことをやたらと苦にしてしまう自分、何とかしたくて、ついにはすがるような気持ちで他に救いを求めた自分があり、今思えばすべて、法則違反の生活でした。
苦の絶頂で自然の法則に出会い
そうしてすがって求めて、自分を見失って苦の絶頂にあったとき、自然の法則の本との出会いがありました。「人間はよろこびの表現体」「すべての問題はよろこびのない、苦を刻んでいる自分が引き寄せたもの」が強く心を捉え、「私のことだ! 喜べる自分になりたい!」と強く思い、「頭を取る」決意をしました。今から18年前のことです。
頭を取ると、三法行(さんぽうぎょう)を毎日繰り返しては、また家に流れているものを少しずつ変えていくことができ、本当にありがたかったです。
私のすっかり落ち着いて変わった姿を見て、夫も続いて頭を取りました。
こうして夫とは、気持ちが通じ合い、共に同じ方向に向かって歩む「赤い糸夫婦」になれました。
本当の意味で親になるために
そうした中で、常に懺悔(ざんげ)の気持ちがありました。子どもの親でありながら、形だけの親でしかなかったことです。
私は、その気持ちを払拭するために、天華人間家族愛親子育成塾院での課程を歩み、また、天が用意してくださったさまざまなステップを踏んできました。
こうして夫も、三法行を一緒に行うようになり、何事もスムーズにいくようになりました。
何かと心配のあった子どもも含め、今はそれぞれが健康で元気な社会生活を送っています。
人の相談に乗れる私に
自然の法則に出会い、自分や家族の問題を解決し、大自然に調和した生活をしている中で、周りの方の相談に乗る機会が増え、三法行を実践する方も出てきました。
ご縁のある方がよろこびに満ちた生活に目覚めるお手伝いができるのは、何にも増してうれしいことです。こんな私になれるまで導いてくれた大自然の法則との出会いに感謝せずにはおれません。