私の生まれ育ったのは、現在の秋田県由利本荘市で、当時は町より十キロも離れた山奥の村で、とても静かでのどかな所でした。家は農家で、両親は毎日朝早くから夕方遅くまで農作業に従事していました。その当時、村には会社などなく、住民の生活形態は、夏場は農作業、冬期間は関東方面へ出稼ぎという山村特有のものでした。秋田は毎年、12月から3月まで雪に閉ざされて雪が深い中、小さいときよりスキー、スケートに親しみました。今のように、学習塾やソロバン塾はなく、少し勉強しては家の手伝いをし、山や川に行って遊んでいたように思います。運動も好きだったので、小・中・高と運動部に所属していました。
牛に興味があり削てい師に
私は牛に興味があり、地元の高校を卒業すると同時に、北海道に渡りました。牛というとあの、モーモーと鳴き、牛乳を搾ったり、牛肉にもなる家畜のことです。北海道の牧場で3年間の見習い修行は、とても厳しいものでした。修行中は、牛に蹴られたり、牛の角で体を押さえつけられてあばら骨を傷めたりもしました。それでも見習い修行期間をクリアーして牛の削蹄師の資格を取りました。
牛の削蹄とは、簡単に言うと、牛の足の爪を切る仕事です。昔より苦髪楽爪(くがみらくづめ)という言葉がありますが、苦労の多いときには、髪の毛がよく伸び、楽をしているときには、爪がよく伸びる、という意味です。苦労すると髪が伸びるという、苦髪の真偽のほどは定かではありませんが、楽爪というのは当たっていると思います。牛も人も同じで、楽して遊んでいると爪ばかり伸びます。特に牛は牛舎につながれて運動不足のため爪がどんどん伸びます。爪が伸び過ぎると、体型が崩れ牛乳の出が悪くなったり、肉質が落ちたりして、病気にかかりやすくなります。その牛の爪を切る仕事をやっていました。日本で牛を飼っているのは北海道と本州の高原地帯です。夏場は北海道の牧場を回り、冬季間は本州に来て仕事していました。
縁とは不思議なもの
ある冬、岐阜県に来て仕事中、突然急性の腰痛に襲われました。病院で診てもらったところ、腰椎椎間板ヘルニアとのことでした。腰より足までしびれ、痛みのため、体は側弯(そくわん)してねじれ、歩くのもやっとのことでした。腰痛といっても単純なものでなく、いろいろな治療法を試みました。
その間、ある人の紹介で、はりとお灸(きゅう)の治療を勧められ、受けることにしました。はりとお灸の治療を継続して、腰痛も徐々にでしたが快復しました。私は体も治ったので、とりあえず実家の秋田に帰りました。秋田に帰ってから腰痛を治してくださった先生に治療していただいたお礼を兼ねて手紙を出したのがきっかけで、文通するようになり、お互いに意気投合しました。秋田と岐阜とはかなり離れていたのですが、赤い糸が引き合い結ばれました。今でも頭が上がらず、最愛の恩人となりました。人は一生の間に会うべき人に必ず会うものです。一瞬早過ぎもせず一瞬遅過ぎもせず、縁尋機妙※(えんじんきみょう)という言葉がありますが、縁とは全く不思議なものです。
結婚後、意を決して、今までの削蹄業を辞め、腰痛で苦しんだ経険から、自分も人の役に立つ治療師の仕事をしたいと思うようなり、妻の協力を得て新たな第一歩を歩むことになりました。専門学校に入学し、朝から夜遅くまで新しい医学知識や治療法などを学びました。新しいことに挑戦することは、毎日新鮮かつ刺激的で楽しいものでした。その後、国家試験にも合格して、妻と協力して新しく治療院を開業しました。
治療院のモットーは、仏教用語から取って「抜苦与楽(ばっくよらく)」――患者さんの苦痛を取り去り楽を与えるというものです。患者さんの肉体の苦痛はもとより心の苦痛を取るように心がけました。そのかいあって治療院は県外からもたくさんの患者さんが詰めかけ、盛業(せいぎょう)となりました。治療の合間をぬって地域の役員を務めるなど、公私共、多忙な毎日でしたが、充実していました。
苦を苦としない家族となり
この間に子どもにも恵まれました。ある日、長女が小学校の高学年のとき、担任の先生から、娘の体の状態がおかしいので、お医者さんで検査をするようにと言われました。いろいろと調べるうちに、ある難病であることが判明しました。後々に妹、弟も同じ病気であることがわかりました。進行性の病気で、私も妻も、以来、心も体も疲れ果て奈落の底にいるような毎日を送るようになりました。将来のことを考えると不安と恐怖が交錯し、長いトンネルの中で出口が見えない八方塞がりの中にいました。
何かを探し求めていたのかもしれませんが、ある日、妻が名古屋へ行っての帰りに、駅前で一冊の本をもらってきて見せてくれました。その当時、私は、ある宗教をやっていたので、その本のことはそれほど気にはとめませんでした。一方、気の早い妻は、私が止める間もなく頭を取りに出かけていきました。その後、私も3人の子どもと一緒に頭を取りました。頭を取って、自宅に帰ってから、妙に山や川の景色や町並み、人々の営みが新鮮でイキイキと感じられました。子どもたちも何か違ってきたかな……と思えました。今まで苦を刻んでいたのでしょう、頭を取ってから苦を刻む必要がなくなった自分に気付きました。
苦を苦としない生活となり、それまで以上によろこびと感謝の生活となりました。子どもたちの手となり足となり、時にはつえとなりながら、障害があっても共に力を合わせ、一緒に歩んでいこうと、妻ときずなを強めることもでき、大きな収穫を得たように思いました。
喜べば喜ぶほど、無限の可能性が発揮され
病気の進行を止めるようにいろいろな治療法も試みました。しかし、病気の進行は思ったより早く、歩行が困難となりました。時には手話と点字を子どもと一緒に習いました。また時には歩行練習を繰り返したりして、天が示してくださった行事には車いすに乗せ、できるだけ一緒に参加するように努めています。子どもは行事に参加すると、次の日から、こちらから教えないにもかかわらず、なぜか前向きな言葉を吐くようになり、親もビックリするほどです。大自然のエネルギーを肌で感じ取っているのでしょう。
天声で、「さあー立ち上がろう、足を前に進んでみよう、繰り返し前進してみよう、見えないものが、どんどん見えてくる、聞こえないものがどんどん聞こえてくる、生かされ生かす力がどんどん込み上げてくる、天に生かされている最高のエネルギーが無限に源(わ)いてくる」と示されています。
喜べば喜ぶほど、人間の内に秘めている無限の可能性が発揮されるのです。立ち止まらない、一歩前に進む――これが私たち家族のモットーです。これらのことは全て天行力三法行の実践から学ばせていただきました。
私の場合、障害のある子どもがあったからこそ、大自然の法則と出会うことができました。毎日、子どもたちに懺悔と「ありがとう」を観(おも)いの中で伝えています。子どもたちもそれに答えてくれ、体に重い障害があっても、落ち込むことなくそれぞれに与えられた環境で喜んで行を繰り返しています。
時代は刻々と進歩し、私たちは便利さ、快適さを追い求め、物質文明に浸り切っています。大自然の法則の存在をどこかに忘れてしまっている人があまりにも多いと思いませんか?その代償として、人心の荒廃、利己主義の蔓延(まんえん)、国家間の対立、原子力問題、核戦争の危機、自然災害発生など、生命の存亡を左右するほどです。
今こそ、大自然の法則の存在を全世界の人々に知ってもらいたいと思います。
※良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく様は誠に妙(たえ)なるものがある。