私が大自然の法則に出会ったのは、18年前のことです。
東京の大学に通っていた長女から電話があり、帰省するから、駅まで迎えにきて欲しいとのことでした。
娘がそれまでにないきらきらした表情で
改札口で待っていると、娘が「お母さん!」と満面の笑顔で駆け寄ってきました。その長女の表情は、それまで見たことがないほどにきらきら輝いていて、少女のようにかわいかったのです。
聞けば、長女は「頭」を取る過程を歩んできたとのこと。DV(ドメスティックバイオレンス)に苦しんでいる私に、娘は問題の原因となる「頭」を取り、大自然の法則に沿った生活をしていくようにと訴えました。
夫のDVで苦しみ、病院通いの毎日
当時の私は、夫から暴力を受け続けていながらも、現状を正視することができず、世間体を気にして、普通の家庭生活を送っている主婦を演じていました。
でも、本音では、毎日、日記帳に夫の死を願う思い、夫だけでなく、義理の両親、義理の姉への恨みの気持ちをびっしりとつづっていたのです。
そんな日々を送っていた私は、自律神経失調症になったりして、ほぼ毎日のように病院通いをするという不健康な状態でした。
娘も息子も夫の暴力で家庭崩壊に
「頭」を取ってきたという長女も、また長男も、夫の暴力を受け、家庭崩壊していました。
特に長女は、口を開けば、夫のことを「あんなやつ、死んでしまえばいい」と言うほどでした。また、「こんな私はもう死んだほうがいい」と自暴自棄になっていました。
その娘が、別人のように変わり、発する言葉はすっかり前向きのものになっていたのです。
そんな娘の姿を見て、私は娘の後に続き、「頭」を取りにいきました。
「頭」を取って夫に本音をぶつけることができ
「頭」を取る過程を歩み終えた私は、すっかり抑圧から解き放たれました。私は、夫の元に行き、それまで言えなかったことを吐き出すことができたのです。「あなたはどうして私をぶつの? あなたは一体どんな家族になりたいの?」――。
しかし、夫は私の問いに答えようとはせず、私は夫を思うようにさせることはできませんでした。けれども、初めて夫に対して本音でものが言えた私は、夫への憎しみやこだわりがすーっと消えたのです。
本来の自分を取り戻すことができ
私は、日々三法行(さんぽうぎょう)を繰り返し、家に流れているものを変える中で、本来自分の持っている、人への優しさ、感謝、思いやりを取り戻すことができました。また、自分を人のために使うことが楽しんでできるようになっていきました。
子供に対しても、本当の親としての姿をもって接することができるようになっていきました。
夫と別れて自活し
こうした歩みを経て、私は夫とは別れ、より大自然の法則に調和した生活をするという道を選びました。それまでは専業主婦でしたが、部屋を借りて仕事を持ち、働いて日々の糧を得て、三法行を繰り返している仲間とともに、自然の法則を伝える毎日は、それまでになく充実していました。
「赤い糸」との出会いが
そんな私に、「赤い糸」の出会いが訪れたのです。今から9年余り前のことでした。とある集まりで、お会いした方から、おもいを向けていただきました。
その方と向き合っていると、以前から知ってるような、他人ではないような、自分とすごく似てるような人だなというところから始まりました。
お互いに一度結婚して、子供もあり、さまざまな過程を経て、晴れて「赤い糸」夫婦として、お互いに人生仕上げに向かっていくパートナーとなって歩み始めることができました。
奇跡と感じられる出来事も
二人ともに、それまでの出会いの誤りを修正して、前の伴侶や子供たちが、喜んで生活できるようなステップを踏ませていただきました。それによって地に足が着き、互いに大きなよろこびをわかしながら、プラスの刻みを増幅させてくることができました。
一番強く奇跡と感じたのは、 劇団慈喜桜の団員として、舞台であがることなく大きな声で演じていたことです。私は小学生のころからきつ音がひどく、人前で話をするなんて考えられませんでしたから。
頭を取った後も、どこか緊張していい格好をしようと構えていました。それが、「赤い糸」に出会ってからは、弱みも全部さらけだせるようになり、いつも安心していられるのです。だから、大好きな演劇に没頭できました。
真の赤い糸目指して
大自然の法則に出会っていなければ、今の私は、家族はどうなっていたでしょう。想像するのも怖いくらいです。「赤い糸」のパートナーにも出会うこともなかったでしょう。
今年10月、新刊書『別れなさい。』が発刊されました。二人で、真の赤い糸を目指して、二人三脚で人生仕上げに向かって、よろこびいっぱいで歩ませていただきたいと思っています。