私は昭和25年、茨城県の農家に2人姉妹の妹として生まれました。
男勝りの性格で、運動大好き、木登りも得意という幼年期を過ごしました。
独立心も旺盛だった私は、奨学金をもらい、両親の信仰心も影響して東京にある全寮制の仏教系高校へ進学しました。以来何十年とその宗教を信仰するようになっていました。
仕事一筋の男性と恋に落ち
卒業後2年間の会社勤めを経ると、知人のつてでとある医院経営者の家事見習いとなり、約2年間、習い事の数々と日本古来の女性のあり方を教え込まれました。3歩下がって師の影を踏まず。常に夫を立てること……。
独身主義、キャリアウーマンで通すつもりだったのですが、仕事一筋の男性と恋に落ち、結婚を約束し合いました。
借家住まいの自営で、苦労するからと両親からは反対されましたが、この人しかいないと思い込み、持ち前の性格から後ろを振り返ることはせず、話を進めていきました。
結婚式前夜、「やめるものならやめたい」と
しかし、相手の両親との顔合わせほか、さまざまな過程を歩む中で、「本当にこの人と結婚していいのだろうか」という思いがよぎるようになっていったのです。
「やめるものならやめたい」という気持ちがわいてきたのは、結婚式の前夜のことでした。けれども、その段階で取りやめとは、もはや口にすることはできず、私は自分の気持ちを押し殺して、結婚に踏み切りました。
結婚式の写真に納まった私の表情は、そのときのおもいそのもので、23歳という花も盛りの面立ちとはかけ離れ、まるで誰かの葬儀に参列しているかのよう。二度とアルバムを開いてみたいという気持ちにはなれなかったのです。
良妻賢母がアルコール依存症に
そんな私は、結婚後も、「人様のお役に立ちたい」という物心つくころからの念願を果たそうと、道場通いをするつもりでした。しかし、夫に従って会社を手伝い、良妻賢母として家庭を守ることに専念しました。
内助の功により、自前のトークで大手取引先を得たところから、会社はやがて中堅会社にまで発展することになりました。3人の子供にも恵まれました。
一方で、良妻賢母であろうとする自分と、本来の自分、2つの自分のはざまで苦しみ、私はアルコールに依存するようになっていったのです。
いつしかアルコール依存とは無縁に
大自然の法則との出会う橋渡しをしてくれたのは、何十年来、宗教団体で深く交流してきたご一家でした。家族4人それぞれが問題の根本となる「頭」を取って変わった姿には、何物にも勝る説得力がありました。
私もその家の奥様のようになりたいと思って「頭」を取ると、家に流れているものも変える過程を歩みました。
その後、日々三法行(さんぽうぎょう)を繰り返していると、不思議と中からよろこびがわき、そのよろこびが現象を変えていくのを体感できたのです。
そうした過程の中で、いつしかほとんどアルコールと無縁となった自分がいました。
全身に汗した糧を失い
ところが、私は風評の嵐の中で、一時期、三法行を中断してしまったのです。
私は、夫とは別れて自活し、昼は看護助士、夜はすし屋勤務と早朝から深夜まで身を削るようにして仕事に明け暮れていました。
そんな私に大きな気付きがありました。全身に汗して稼ぎ出した糧をふとしたことで失うことになったのです。
三法行で生活が整い
私は、大自然の主からのメッセージに、新たな気持ちでグレードアップした三法行を始め、ブランクを埋めるように、さまざまなプログラムに参加させていただきました。
すると、生活が自然と整い、以前に増して、よろこびと感謝に満たされた毎日が送れるようになりました。
「人のために生きる」人間塾に
その後、「人のために生きる」人間塾に入塾しました。「人のために生きる」というのは、物心ついて以来抱き続けてきた自分のテーマで、私は迷わず入塾を決めました。
それからすぐに、数年来の懸案がひとつ解決されたことを知りました。生活の基盤が整い、胸のつかえが一度に取れました。
子供たちも銘々立派に歩んで
夫との別れは新たな道へのスタートとなりましたが、夫の元に置いてこざるを得なかった息子たちのことは、絶えず気になっていました。けれど、私が自然の法則に沿って歩んでいる中で、その息子たちも銘々の道を立派に歩んでいることがわかったのです。親の観(おも)い、よろこびは、子供にも伝播するのだと、身を持って体験できました。
仕事ぶりも買われて、正社員に
こうして、自然の法則と調和した生活を送る中で、私は、きちんとした仕事ぶりが買われて正社員にもなりました。
皆さんが三法行を体験するお世話ができるように、仕事を一休みし、また、地域の方々が書き終えた三法行帳を納めに琵琶湖に行く一助として、大型車の免許を取得した時期もあります。
多くの方々に大自然のエネルギーをいっぱい吸収した天華食無農薬家族園の野菜を使った料理を味わい、元気になっていただきたいおもいから、調理師の免許も取りました。
赤い糸との出会い
私はこのようにさまざまな苦行を経て、抑圧から解き放たれ、空回りから脱し、すべてを生かせる自分となっていました。ただ一度だけの人生を人のために生き抜こうとする力強い自分でもありました。苦しみから逃れるために、アルコールに依存していた自分はどこにもいませんでした。
それから、自分を人のために生かす毎日を送っている中で、思いがけずに、この世にただ一つの「赤い糸」との出会いに恵まれたのです。ふとした場で出会わせていただき、どちらもその出会いの不思議さに、生かしてくれている主、天のはからいを感じたものです。
互いに支え合い、二人三脚で
パートナーも大変な道のりを歩んできていましたが、これからは、それぞれが別れた家族を思いやりながら可能な限りのことをし、残された人生を互いに支え合い、二人三脚で人生仕上げに向かって歩もうと決意して、スタートを切らせていただきました。
大自然の主である天を身近に感じ、多くの皆さまと三法行を楽しく繰り返させていただいてきました。
真の赤い糸夫婦に向かって
2014年10月に発刊された『別れなさい。』を読んだ私は、主人とともに真の赤い糸夫婦として歩もうと決め、高次元2泊3日赤い糸修行を終え、一歩を踏み出しました。修行は厳しいイメージとは違って、とても楽しい3日間の過程でした。
肚の中にあって吐けなかったものを吐けるようになり、とてもすっきりとし、日々の生活がこれまでになくすがすがしく、全てが順調なのです。天職への道も見えてきました。
特技を生かして、大自然の法則をお伝えし
今はまた、若いときから身につけた茶道の心得を生かした「聖茶道行」を通じて、礼法・行法を楽しみながらお伝えするお世話もさせていただいています。パンやクッキーも習い、皆さんが大自然の法則に調和した生活をするお手伝いに生かされる夢に向かって進んでいます。
多くの方々が、本来のよろこびのままに毎日を送り、家族から地域へとその波動を発信できるようにと願っています。