私は、鹿児島県田舎に7人きょうだいの長女として生まれました。
農家の大家族で裕福ではありませんでしたが、両親の愛情に包まれて育ち、おっとりとしてのんきな性格です。
勉強はあまり得意ではありませんでしたが、健康で、学校も休むことなく通い、友達にも恵まれました。
鹿児島の田舎から神戸へ
私は18歳で大阪に就職し、その後、父が神戸の会社に勤務するようになったことで、その4、5年後にはほかの家族も神戸で暮らすようになりました。
社会人になっても、仕事や人間関係は円滑でした。興味を持った七宝関係の会社に就職でき、七宝焼きの行程に楽しく携わりました。
結婚17年で離婚へ
その関係で出会った主人と25歳で結婚し、3人の娘にも恵まれました。しかし、主人の女性関係が元で、結婚17年で離婚しました。
それからは女手一つで娘3人を育てました。娘たちは、上の学校に行かせてあげられませんでしたが、特別不満を言うこともなく素直に育ち、それぞれ自立してくれました。
お金はなかったですが、あまり苦労とは思わなかったです。
その主人も病気で他界しました。
大自然の法則に出会い
平成10年、そんな私は、大自然の法則に出会うことができました。
街頭でいただいた本を、家に帰ると一気に読み終えて、すごいと思ったのです。知人にも読ませてあげました。
2、3年後、妹が末期ガンの宣告を受け、私はいただいた本のことを思い出しました。
これに賭けてみようと問い合わせたところから、家族の問題を解決するために、私が頭を取りにいきました。
頭が取れると、すっかりこだわりがなくなっている自分に気が付きました。一番うれしかったことは、母が頭を取りにいってくれたことです。その後も一緒に三法行を繰り返しています。
病気の妹は三法行を始めようとしていましたが、静かに旅立ちました。
家に流れているものを変えて
その後、私は、家に流れているものを変えようと、できることをやらせていただいてきました。
遡れば、父親も59歳のときガンで、3歳下の妹も同じ病で亡くなり、9歳下の妹は、幼くしてこの世を去っていました。別れた夫もガンで他界し、亡くなった夫の母はシングルマザーで、若くして同じ病気で死別したと聞いていました。
家に受け継がれているものの影響力の大きさを感じて、娘たちや子孫のために、この世で唯一、この流れを変えることのできる道を歩ませていただこうと思いました。
こうして歩んでくる中で、次第に家や家族の雰囲気が変わってくるのがわかりました。
ガンで亡くなった家族の苦しみが、今ではすっかり消えているのが実感できます。また、誕生させて育んでくれた両親への恩返しができた気持ちで満たされています。
出会いの失敗に苦しむことなく、ガンを問題としない家族になってきていると思える今、大自然の法則に出会えたことに改めて感謝せずにはおれません。
よろこびあふれた生活を
現在は母と二人暮らしですが、仕事をしながら母の介護も子どもたちの力も借りながら喜んでやらせていただいています。3人の娘たちも、近くに住み、家庭を持った娘も家族ぐるみでよく顔を見せてくれます。
一人でも多くの方が大自然の法則に出会い、よろこびあふれた生活を送っていただけるように心より願っています。