私は愛知県で、兄2人、姉2人、妹2人と、7人きょうだいの真ん中に生まれ育ちました。父が酒好きで、夫婦げんかが絶えない家でした。
酒を飲んでない休みの日、父は母を家に残し、子どもたちを連れて釣りに、一方、母は、時間を見つけて役場の民謡やデパートの教室などに連れていってくれたりもしました。
夫婦げんかの絶えない家
父の酒癖の悪さは、やがては家族離散への引き金となっていくのです。
私は、いつしか学校でもいじめに遭うようになり、苦痛の毎日を送るようになっていました。けれど、家に帰れば夫婦げんかで自分の居場所なんてありませんでした。
大事故から奇跡の生還を果たした母
そんな中で、母は大事故に遭い、5日間意識不明に陥ったのです。奇跡の生還を果たした母は、リハビリの後に普通の生活に復帰できました。「子どもたちを残して死ぬわけにはいかない。ただ、それしかなかった」と母はその後、語ってくれたことがありました。
生還しても、植物人間か車椅子生活を覚悟してくださいと医師に言われた母でした。仕事ができない体になりましたが、子どもたちのためにという一念で、人の手を借りずに生活できるところまで快復を遂げ、私たちを育ててくれたのです。
両親の離婚とその後の苦労
しかし、両親はその後、離婚する道を選んだのです。社会人になっていた兄2人と上の姉は、父方の姓を、下の姉からは、母の姓を名乗って、私たちは転校しました。
私は、父からも学校からも開放された気分になりましたが、小学校卒業が半年後というタイミングで、転校先でもみんなとなじめませんでした。「根暗」に近かった学生時代、唯一、美術の時間は楽しかったです。
けれど、こうして始まった新しい生活は、体を壊した父が母を頼ってきたことで、再び乱されました。私は、酒を飲んで暴れるしかない父を避け、ほとんど口も利きませんでした。
それでも、私は一人高校に進学させてもらい、卒業後は会計事務所に就職しました。
父の死を母に責められ、何かが狂い始めて
社会人生活一年目のある日、私は突然父の死に遭遇したのです。母は、上の姉の出産で家にはおらず、私も仕事に出ていました。亡くなる間際に姉の家の電話に入った留守電で、父の非常事態が父の死後になってわかりました。
父は心不全で、3日間何も口にしてなかったという診断が下り、私は母に責められたのです。母の何気ない一言で、私の中で何かが狂い始めました。
そんな折、私は人気ロックバンドに出会い夢中になりました。コンサートに行くうちにエスカレートして、コスプレをするようになりました。
コンサートに行くときは、必ず人気メンバーのコスプレをし、嫌な自分を忘れ、全てから開放された気分でした。あのころの私は、コンサートが自分の居場所でした。
普段は、おとなしく仕事をしていながらも、何か嫌なことがあると髪の色を変えていた私。ひどいときは週に一度のペースにもなっていました。
その後、バンドのコンサートに行かなくなり、気がつくと酒に逃げようとする自分がいました。私は嫌っていた父の後を、知らずとなぞっていたのです。
自然の法則に出会って
自然の法則と出会う機会が訪れたのは、それからしばらくしたある日のことでした。職場の同僚が手渡してくれたのが、『愛を超える結婚があった』という本でした。本を手渡してくれたのは、さまざまなことの相談相手になってくれていた人でした。
そのころの私は出会いの間違いで苦しみ、自分の存在が許せないぐらいの状態で、毎日のように死に場所を探していました。生きていても人に迷惑をかけ、自殺しても人に迷惑をかける。どうしたら人に迷惑をかけなくて済むんだろうと、いつも葛藤していました。
本を少しずつ読み進めていくうちに、中に載っている体験談が自分と似ている、と思ったのです。私は、自分を変えるために、「頭を取る」決心をしました。
頭が取れて生まれ変わり
その過程では、さまざまな観(おも)いが込み上げてきて、最初は素直にはなれませんでした。おなかの底にあった、変わりたいという気持ちから参加したはずなのに、最初はなぜ参加したのかわからない気持ちでいっぱいでした。
それでも、繰り返しの中で、人生の意味を深く理解でき、無事に頭――こだわりが取れる体感をしました。
自分でもわかるぐらい表情が変わり、曲がっていたはずの足の指がまっすぐに伸びていました。すっかり生まれ変わることのできた私は、自然の法則のすごさを味わいました。
親子の交流ができるように
その後は、三法行(さんぽうぎょう)を繰り返し、母にも変わって欲しい観(おも)いを伝える中で、母も後に続いてくれたのです。
こうして歩んでいる中で、私の観いは徐々に変化し、亡くなってから一度も行っていなかった父の墓参りに行き、父と交流ができました。
そうして、親子でしっかりと交流ができるようになった後、私は大自然の法則に沿って、割に合わないことが喜んでできる日々の過程を歩みました。励まし合える仲間と共に歩んだ年月は、その後を歩む礎となりました。
私を通じて自然の法則に出会う方が
三法行から天空慈喜徳三法行(四法行)になってからも、さまざまなプログラムに参加し、仲間とともに歩んできました。
その中で、この世で唯一の親子の出会いをより密にすることができました。歩みの過程で、両親に出会えたこと、たくさんの人と知り合えたこと、今こうして生かされていることに感謝でいっぱいになりました。
この過程の歩みとともに、私のやっていることならやってみたいと、天空慈喜徳三法行(四法行)を実践する方が出てきたのです。
かつて苦しみの中にいた私を救ってくれた「自然の法則」。自然の法則に沿うことで、全ての問題は消えていきます。この私を通じて、自然の法則に出会う方がいることは、何よりのよろこびです。