私は、昭和15年、兼業農家の家に、6人きょうだいの3人目として生まれ育ちました。終戦後の物のない時代でしたが、両親はきょうだい全員を一生懸命育ててくれました。学校時代は、大勢の友達とよく外で遊びました。
ガンで全摘手術を受け
ごく小さいころ、股関節の治療を受けましたが、予後は順調でした。運動が好きで、ソフトボールの選手をしたこともあり、元気に走り回っていました。学校を卒業後は、会社に勤め、職人の主人と見合いで結婚し、家庭を築きました。父親とどこともなく似ている主人は、お酒の好きな人ですが、働き者で、2人の娘にも恵まれました。
こうして私は夫婦で苦楽を共にし、平凡な生活を送っていたのですが、年齢を重ねるごとに、体に不調が出、いつの間にか「病気の問屋」と言っていいほど、さまざまな病気に苦しむようになっていました。また、子どものころ治療を受けた股関節に痛みが出て、人工骨頭を入れる手術を受けました。その後は、仕事に復帰し、事務と現場の腰掛け仕事をするようになりましたが、気管支ぜん息になり、入退院を繰り返すようになりました。
さらに私はガンで胃の全摘手術を受けることになったのです。余命幾月もないと家族は医師に言われたと、後から聞きました。妹が看護士をしていて、その病院で、妹も立ち合いのもと手術を受けたのですが、病気が進行していたので大変だったようです。
三法行を楽しく行い、頭を取って
そんなある日、職場の同僚を通じて大自然の法則に出会うことができたのです。同僚は、弘法大師ゆかりの四国の八十八ヵ所巡りを毎年していて、私も誘われて行くようになっていました。私は彼女に勧められるままに三法行(さんぽうぎょう)を始めたのですが、楽しくて、やらずにおれなくなっていました。書くことも好きでしたので、抵抗は全然ありませんでした。
その後、何か家族の行く末が心配になり、先祖供養して子孫が幸せな毎日が送れるようにという気持ちで、問題の原因となる頭(こだわり)を取りにいきました。病気を治すことが目的ではありません。
頭が取れ、生まれ変わったように元気になった私の姿を見て、半信半疑で送り出してくれた家族はびっくり仰天したようです。妹は、「姉さんはエイリアンみたいに凄い」と言っていました。
家族は、私の行を見守ってくれるようになり、その後も私は地域の方と一緒に楽しく三法行を繰り返してきました。
大自然のリズムに調和して
そうしているうちに、大病をした私が元気になったが、何か書いているようだといううわさを聞いて、尋ねてきた方が、「私もやりたい」と一緒に三法行を実践するようになったのです。大自然のリズムと調和する超写経をしばらく一緒に行い、その後、法唱・法筆・法座と正式な形の三法行を行うようになりました。
かつて「病気の問屋」だった様子はすっかり影を潜め、私は健康そのものになりました。多少はつえに頼ることもありますが、周りの方が必要なときには手助けをしてくれます。同居の長女にも子どもが生まれ、「おばあちゃん、おばあちゃん」と慕ってくれます。次女にも子と孫がいて、にぎやかです。
こうして私は三法行をただただ繰り返してくる中で、健康そのもの、家族も繁栄一筋になってきました。孫たちも皆、素直です。娘は、「お母さんのそばにいると気持ちがいい」と言ってくれることもあります。一人でも多くの方に大自然のリズムのままに喜んで生活することのできる三法行を味わっていただきたいものと思っております。