子ども時代に培ったもの
―― 小さいころの遊びは?
■ 川に泳ぎに行ったり魚を捕ったり、冬は山に行き、途中お弁当を食べて、一日かけて降りてきたり、田んぼに水を張ってスケートをしたりしていました。田植えのシーズンになると、学校を休んで手伝わされました(笑)。農家ですから、シーズンごとに家の手伝いをしました。
―― 山菜摘みも?
■ 山菜はたくさんありますよ。でも目が悪いので確認するのに時間がかかってしまうんですね。クリ拾いもパッパとできないので苦労しました。
―― 高校から寮に?
■ 田舎で地元に高校がなくて、家からは通えないので、寮に入って学生生活を送りました。1年生のときは真面目でしたが、2年、3年になると遊ぶようになりました(笑)。と言っても、今と違い質の悪い遊びはしませんでした。
―― 思い出は?
■ 食べ盛りなので、夜おなかがすいたときに、夏は暑いので我慢できるのですが、冬は寒さもあるので我慢できずに、火鉢でいろいろ焼いて食べました。しかも見つからないように押し入れで焼いていたので、そのにおいが天井裏を伝って舎監の部屋に届いてしまって、「いい匂いがしますね。どの部屋かな? 後で僕の部屋に来てね」と言われ、行くと厳しくお説教をされました。それ以来、寒いけれどベランダで焼くようにしました(笑)。舎監さんは穏やかな人で、ほかにも、腹が立ったときには、心で数を4まで数えなさい、そうすると爆発せずに済むと教えられました。
―― いい思い出ですね。
■ あるとき、内緒で後輩を連れてどんど焼きを見に行ったことがありました。バスで行ったのですが、要所で先生が見張っていたので、見つかってしまいました。翌朝先生に「どんど焼きにいった人」と言われたのですが、「はい!」と立ったのは私だけでした。
―― 潔いですね。
■ 隠したってしょうがないし、立ったときも私がにこにこしていたので、先生も怒れずじまいでした。週末になると学生は実家に帰るのですが、一日だけのために帰るのはもったいなかったので、寮母さんの畑のお手伝いをしていました。小学生のころから畑仕事をしていたことがここで役に立ちました。初め寮母さんはできるのかいぶかっていましたが、実際にお手伝いをして見直されました。休みの日は寮の食事がなかったので、寮母さんがお弁当を作って持ってきてくれるようになりました。普段のお昼も同級生よりもおかずが多く入っているようにもなりました(笑)
―― 子どものころからの経験が役立ち、人望もあったのですね。
■ 子どものころから、洋服を繕ったり食事の後片付けをしたり、アイロンがけをしたりしていましたので、今でもアイロンがけは大好きですし、食事の後片付けもしますので、女房は安心して旅行に出かけて行きます(笑)
超写経のすすめ教室へ
―― 高校や大学に進学する人が少なかった時代ですよね。
■ 大学では経済を専攻していましたが、マージャンとアルバイトに明け暮れていました。大学を卒業しても社会人として通用しにくい時代でしたので、私の通っていた大学では、数学と国語(特に漢字)の基礎が授業に組み込まれていました(笑)
―― 先生になろうと思われた?
■ 田舎で就職が限られていましたので、教員免許を持っていないと就職できないと思って、免許を取得しました。
―― 実際に先生に?
■ まだ母親が現役の教員でしたから、私が就職できるように話をしてくれていました。ところが、大学3年のときに父親が他界して、卒業間近に兄が他界してしまい、このまま実家にいたのでは農家で一生終えると思っていたときに、ちょうど知り合いの国会議員さんが秘書を探していたので東京に出てきてしまいました。
―― ご苦労があり、思いがけない流れになったのですね。
■ 今だから親の厳しいしつけのありがたさが分かります。相手をしっかり見て交際することや、嫌なことは率先してやることなど子どものころにしっかりと教えてもらっていたのでありがたかったですね。父が亡くなったときに、歴史学者の叔父から「静中の動(静かな中でも動のある人間になりなさい)」と言葉をいただいたことを覚えています。
―― ご立派な両親や叔父さんの影響を受けられたと。議員秘書をされたのは何年ぐらいですか?
■ 約2年で、議員さんが落選したので終わりになりました。次の仕事は経理関係でしたが、会社の人間関係をつくるのに大変でした。仕事を教えてくれる人がいなかったので、経理や報告書や発注など手探りで仕事を覚えました。また、経理の勉強のために通信教育もしました。ただ、夜10時ごろになると眠くて眠くてつらかった(笑)。ワードはできませんが、エクセルは使いこなせます。その後、国内の大きな展示場の建物やレジャーランド、モノレールなどの建設に携わり約30年勤め上げました。
―― お疲れさまでした。超写経に出会われたのは?
■ 医学講座を聞きにいった帰りに、磯子駅の連絡橋のところで説法をしている女性がいたんですね。一旦は通り過ぎたのですが「写経」と言う言葉を耳にしたので、戻ったら、「今度、超写経のすすめ教室がありますので来てみませんか」と言われチラシをいただき、行ってみました。
法筆(ほうひつ)をして心が落ち着き
―― 実際に参加されていかがでしたか?
■ 超写経のすすめ教室の黒板に「楽(落)書き」と書いてあったので、私の知っているのと違うなぁと思いましたが、法徳30日の三法行帳をいただけたのでただ繰り返していたら、いつの間にか自分の中にその習慣が入ってきて今に至っています。
―― 良かったですね。法筆していかがでしたか?
■ 心が落ち着くと感じました。それまでは女房と一緒にいると怒っていたことでも、怒らなくなりました。法徳30日の三法行帳も2冊書き終えてしまいましたので、横浜あさなる会館に連れていってくれると聞いていたのですが、地図を見たら知っている場所の近くだったので、待ちきれず一人で横浜あさなる会館に行って30日三法行帳を手にしました。受け付けの方も、とても優しく対応してくれました。その後、皆さんが何かのたびに天行力手帳を出されるので、天行力手帳が欲しくなり、一昨年に三法行一宝を手にさせていただきました。
―― おめでとうございます。その後、超天行力天授大祭を始め、さまざまな行事に参加されていますね。
■ はい、教えていただいたり、連れていっていただいたりしていろいろ参加しています。
―― 目の手術をされたそうですが……。
■ ちょうど2年くらい前に右目の角膜移植の手術と、1週間置いて右目の白内障の手術を受けました。初めのころは1日2、3枚法筆していましたが、目が悪くなって何もしたくなくなったときに「法筆(法筆)ができないときでも、法唱(法唱)と法座(ほうざ)はできるよね」とアドバイスをしていただいたので、法唱と法座は繰り返していました。手術後は1日1枚の法筆をしています。
―― 工夫をしてしっかり繰り返しをされていたんですね。今後の抱負は?
■ 成り行きに任せていきます。いつかは女房と一緒にやれる日が来るとおもっています。
―― おもっていれば、変わってくるのではないでしょうか。本日は、ありがとうございました。