人間には、五官を通して外から入ってくる情報の流れを、特に強く感知せずにただ受け入れて流している部分と、意識的にいったん止めて、それを眺めて、良い悪い、美しい醜い、適切不適切、有利不利という判断をしている部分とがあります。
止めるということ、これは意識するということですが、この意識的な分別というものをよく見ると、すべて、自分の都合にもとづいた善悪、美醜、有利不利といった、いわば自己中心のものです。
それはすべて「こだわり」ですが、こだわりはさらに強いこだわりを生みます。この意識の介入があればあるほど、無意識の生命活性エネルギーの流れをさえぎってしまうことに、現代人のほとんどはなかなか気づけないでいます。
高度情報化の一途をたどる現代においてはなおさらのこと、入ってくる情報をいちいち身に振り返って裁いていたのでは、それこそ身も心ももちません。
生命というものは、「いま」という瞬間にのみ存在し、「いま」という瞬間は刻一刻と流れていくものである以上、常に新たな永遠の「いま」を生きるのが生命体の真実と言えます。
本来、人間の体は、すべてをスムーズに流すことができるように、パイプのように創られています。腸も、食道も、血管も、すべてパイプです。ことに血管を流れる血液は、60兆の細胞をくまなく回ることで栄養を与え、老廃物を流し去る働きをしています。
天行力もまた同じことで、頭から入り、足裏までくまなく流れることで、活力を与え、正常でない波動を流し去る働きをしています。
円滑に流れてさえいれば清らかな姿を保っていられるのは、自然界の道理です。水は流れるからこそ美しいのであって、流れがとどこおればたちまち濁り、やがては腐ってしまいます。
同様に、生命体は天行力が流れるからこそ、本来の波動を保っていられるのであって、その流れがせき止められれば、やがて正常でない波動が表れ、肉体上にも精神面にも支障をきたし始めます。それを私たちが「病気」と呼んでいるにすぎません。
肉体上、あるいは精神面に起こる支障のいっさいは、生命体の波動が乱れていることを教えるためのシグナルなのです。
人の悩みは千差万別で、解決するのも一筋縄ではいかないと、誰もが思うものでしょう。が、実は悩みを引き起こしている元は、ほとんどが、自分が発するマイナスのエネルギーの滞留なのです。
しかも、困ったことに、このマイナスのかたまりは、いったん滞り始めると、時間経過と共にしだいに雪だるま式に増えていきます。
もちろん生身の人間である以上、瞬間的に怒り、恐怖といった感情がわいてしまうことはあるでしょう。しかし問題なのは、こだわるクセの強い人が、そうした苦の感情をさらに喜べない材料として増大させてしまうことなのです。
私たちはえてして、不都合な現象を、合理的でないと決めつけてしまいます。宇宙で起きる一見なんの関係もないと思える物事が、本当は互いに見えない糸でつながっているのだとは思いもしないものです。
「一事が万事につながっている」それがこの世界の真実であり、すべては「原因と結果」の法則で結ばれています。
偶然に起きる出来事など、この宇宙には一切ありません。病気にかかることにも理由があるように、事故や災難に遭うのも、負債を背負うのも、あらゆる問題はひとつのことを原因として引き起こされているにすぎません。