人は誰しも幸福を求めて、いろんな努力をしています。
その努力が実らないのはいったいなぜなのでしょうか。
その疑問を解くカギは、これまでに述べた、私たちの内に秘められた素晴らしい力、「生命エネルギー」にあります。
多くの人は、そのカギを発見しようとしないで、他のいろんなものに幸福を求めているのです。その勘違いに気づくことができれば、努力は、幸福を実現させるための実のある努力となるのです。
人々が、幸福に関して、いったいどのような勘違いをしているのか。以下、具体的に見ていくことにしましょう。
多くの人は、人生がうまくいかなくて逆境にあるときは、心底幸福を願うのに、いざ上昇気運に乗ったときは、我が世の春がきたように人生を満喫して、幸福が何かさえ忘れてしまうものです。
あなたにも、そんな体験がありませんか。
まさに「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」というたとえ通りのことを、多くの人がついついやってしまうのです。
しかし、人生に浮沈はつきものです。また逆境に戻ったときには、「あのとき、なぜもっと真剣に人生を考えなかったのだろうか」と後悔するのですが、それもまた、再び同じことを繰り返す出発点になってしまうのが普通です。
幸福とは、自分の都合のよいときに求めるものではありません。また、幸福は追いかけたら得られるというものでもありません。多くの人は「幸福」という言葉を、あまりにも安易に使いすぎて、その本質が見えなくなっているようです。
何を幸福と思うかは人それぞれかもしれませんが、一般的には、経済的に豊かであること、健康であること、生きがいを持つこと、人生に希望があること等々を挙げる人が多いのではないでしょうか。
もちろん、これらの条件がかなえば一応の幸福感は得られるに違いありません。
しかし、ここからが問題になるのです。
たとえば、経済的な面を重視する人は、何らかの方法でお金儲けに努力するか、会社での出世をめざすといった手段を選びます。その目的がかなったとき、はたして本当の幸福は得られるでしょうか。
家族をなおざりにしてまで頑張って働き、大金を得た人のなかには、人生を誤ったと痛感している人が想像以上にたくさんいるものです。
また、お金はお足と言って、いつ消えてなくなるか分からないものです。そんな不安定なものに、自分の幸福を預けてよいのかという問題もつきまといます。
では、生きがいについてはどうでしょうか。
生きがいのある人生が送れれば、それは素晴らしいことです。
ただ、本当の生きがいを見つけられるかということが問題になります。たとえば、子どもが生きがいだという母親がいます。母親としては当然の愛情ですが、では子どもが成長して親元を離れた後はどうなのでしょうか。
多くの人は、生きがいを自分の外に向かって求めようとします。そして、生きがいに依存して生きようとすることがあります。その対象が子どもであっても、財産を築くことであっても、夢を追うことであっても、それに依存して生きるということに変わりはありません。
多くの人が求めている幸福の条件には、次のような共通項があります。
自分の外に幸福の条件を求めること、幸福の条件そのものが不安定であること、その不安定なものに頼って生きようとすること、の3つにおいて共通しているのです。
このような幸福の条件を満たすことで、はたして本当に幸福になれるのでしょうか。
もし、あなたが、「これがかなえば幸福になれるのに」と思っていることが、思う通りに実現したとします。念願がかなったのだから、もちろん幸福感を味わうことができるでしょう。しかし、それはほんの束の間の喜びにしか過ぎないかもしれません。
なぜなら、幸福の条件が実現すると、そこから新たな願いが生まれてきます。つかんだ幸福を手放したくないという執着心が生まれてくるのです。
そして、その執着心が「この幸福が逃げたらどうしよう」という不安感に変わっていくのです。
もうひとつは、人の持つ欲望には限りがないため、「もっと幸福になりたい」と、さらに新たな幸福の条件を求めていくようになります。そして、その気持ちが生まれた瞬間に、つかんだ幸福が色あせて見えてくるのです。
このように、幸福が実現できたと思ったときから、新たな不安とさらなる欲望が生まれていくため、いつまで経っても〝幸せ探し〟の努力を続けざるを得なくなるのです。
本当の幸福は逆方向にあった
では、本当の幸福を得るためには、どのようにすればよいのでしょうか。
その方法は一つしかありません。自分の外に向けられた目を転じて、自分自身の内に向けてみることです。なぜなら、あなたが探し求めている本当の幸福は、自分の外にあるのではなく、〝自分の内〟にすでに存在しているからです。
そのことに気づき、閉じ込められている「生命エネルギー」を解き放てば、あなたは、いまあるがままの状態で、本当の幸福を実現することができるのです。
そしてもうひとつ、あなたは自分の意思で生きているのではなく、〝生かされている〟ということを知る必要があります。
「子どもは天からの授かり物」という言葉があるように、私たちの生命は天から授かったものです。そして大人になったいまも、私たち人間は、目に見えない偉大な力によって生かされているのです。
普段は考えもしないことだと思いますが、たとえば、私たちの意思で自分の心身を動かせる部分は、いったいどれだけあるでしょうか。
驚くことに、私たちの意思で自由に動かすことができるのは、身体を動かすための筋肉だけなのです。たったそれだけなのです。
では、頭や心はどうなのでしょう。私たちには、自分の意思というものがありますが、この意思さえも、私たちが見、聞き、感じた情報を脳が勝手に処理して決めているものにすぎません。
つまり、あなたという人間は、あなたが生かしているのではなく、生かされているものにすぎないのです。
では、生命エネルギーは、どこから生まれてくるのでしょうか。
それは天という大宇宙をつかさどる「自然の法則」そのものから生まれているのです。
そしてこの大宇宙の「自然の法則」こそが「真理」そのものなのです。
しかもあなたを生かしている「生命の本質」は、本当は生まれたばかりの赤ちゃんと一緒なのです。純真、透明、純粋無垢であり、自然そのものです。
石膏を取り除いたダイヤモンドのようなあなたは、純真、透明、純粋な輝きを発しているのです。
子どもたちと接すると、あなたの心が温まり、ほのぼのとした幸福感さえ抱くのは、あなたが子どもたちを通じて、あなた自身の内にある純真、透明、純粋無垢なダイヤモンドのような「生命の本質」を感じるためです。
この例からもお分かりのように、あなたが追い求めている幸福とは、実はあなたの外側ではなく、あなた自身の内側にある「生命の本質」なのです。
自然のエネルギーは万物を創造した力であり、私たちの想像では計り知れない大きな力を持っています。そのエネルギーによって生かされている「人間」もまた、計り知れない力を持っていることは疑う余地もありません。
先に挙げたスポーツ選手の体験例のように、ごくまれに信じられない力が発揮できるのは、たまたま偶然に、自らの内にあるエネルギーが、目に見える形で表れたのに過ぎないのです。
本当の幸福とは、このように、自分の「生命の本質」を感じているときの状態にほかなりません。
しかも、その幸福は、決して消えることはありません。なぜなら、自分自身が生まれながらにして持っているものであり、努力して探し求める必要もなければ、失わないために努力する必要もないものだからです。
子どもの頃のことを思い出してください。純粋で疑うことを知らなかった昔、たとえどんな境遇にあっても「不幸」などとは感じたこともなく、生きていることそのものが幸福だったはずです。
子どもの頃のあなたは、「生命の本質」を身近に感じて生きていたのです。だからささいなことにも喜びを感じ、たとえどんなに不遇な環境にあっても、それを「不幸」とは感じなかったのです。