人間の生命は素晴らしい力を持っています。
そして、その生命エネルギーは、自分でも気がつかない身体の奥底から、「このエネルギーを使って最高の喜びを表現しなさい」と、一時も休まずに、私たちに働きかけているのです。
ほとんどの人が、この事実に気づいていません。
それは、これまでに述べたように、頭の中に余分なものをいっぱいに抱えてしまったために、それがじゃまをして、心の奥底のさらに奥底から、私たちに呼びかける〝生命の声〟が聞こえないからです。
私たちの生命は無限の可能性を秘めています。そして、喜びのエネルギーに満ちています。後で述べますが、あなたが幸福になるために必要なすべての力が、あなたの生命の中に存在しているのです。
ところが、多くの人は、自分の内に秘められた〝自らの力〟に気づくことなく、「私は弱い人間だ」とか「私は能力がないから」と勝手に思い込み、本当は無限にある可能性に自ら限界を決めて、窮屈な人生を送ってしまいがちです。
母親の胎内からオギャーと生まれたとき、当たり前のことですが、私は弱い人間だとか、能力のない人間だと決められていた人は誰一人としていません。
ところが、大人になるにつれて、「世の中、そんなに甘くないぞ」と痛感させられる体験を繰り返していくうちに、自信を喪失し、夢をなくし、そして自分の限界を知ったつもりになっていくのです。
しかし、自分で自分をどう評価しようと、封じ込められた力は、生きている限り決して消えることなく、いま現在も身体の奥底に存在しています。
なぜなら、その力とは、私たちの生命エネルギーそのものだからです。
その力は、決して捨てたものではありません。たとえ、人生をすねて生きている人でも、社会から落ちこぼれていると思い込んでいる人でも、その人の内には人間の生命エネルギーが燦々と輝いているのです。
たとえ借金で家を失った人でも、たとえ病弱で入退院を繰り返している人でもそうです。どのような人でも、この世に生を受けて、心臓の音が生命の時を刻んでいる限り、常に〝無限の可能性を持った人間〟であることには変わりはありません。
ただ、その人の生き方の結果が、いまそのような形になって現れているだけなのです。
自分を知るということの本当の意味は、「そのような素晴らしい生命エネルギーを持っている自分に気づく」ということなのです。
ただ、これまでの人生の中で、少しずつ塗り重ねてきたものが厚い殻のようになってしまい、気づこうにも気づくことができなくなっています。
その結果、本当の自分というダイヤモンドのまわりを、石膏で塗り固めてしまったのです。そして、その塊の中に、ダイヤモンドがあるということすら忘れてしまっているのです。
あなたの内に、ダイヤモンドがあるということを知るためには、それを覆う石膏の殻を取らなければなりません。
前回までに述べた「マイナスの習慣」「間違った思い込み」などは、あなたを覆う分厚い石膏だと思えば分かりやすいでしょう。
もし、こうした自分の殻を破ることができ、初めて、自分の内にある生命エネルギーの輝きを実感として確認することができたら、あなたはきっと、「私の内には、こんなにも素晴らしい力があったのか」と驚くことでしょう。そして、その力を発揮することができたら、どんなに素晴らしい人生を送れるだろうかと、気持ちがわくわくするに違いありません。
このことは、決して夢ではありません。その気になりさえすれば、自らの内に潜んでいる力を引き出していくことは十分に可能なのです。
なぜなら、それは、〝あなたの生命〟が持つ力だからです。
生命のエネルギーに触れる
実は、このような力を無意識に発揮している人は何人もいます。自分でも気がつかないうちに、生命エネルギーがわいてきて、信じられないくらいの力を与えてくれるのです。
その一端を体験した人の話を紹介してみましょう。
「心身共に絶好調のときでもめったにないことだが、驚いたことに150キロで手元に飛んでくる剛速球が止まって見えるときがある」
プロ野球のある一流選手が言った言葉です。本人はそのとき、まったくの無意識状態でボールの他には何も見えず、バットを振った記憶すらなく、気がついたらホームランだったと語っています。
「自分の20メートルほど前を、もう1人の自分が走っているのを見た」と語ったのは、かつてオリンピックでメダルを獲得したアメリカのある陸上選手です。すべての力が尽きて意識が薄れかけたとき、その不思議な現象が起きたそうで、目の前を走るもう1人の自分についていこうと思った瞬間に、極限に達していた苦痛がうそのように消え、自分では不可能だと思っていた記録が出せたといいます。
生命エネルギーの発露のたとえがなにもスポーツに偏ってはいけませんが、分かりやすい例としてあげてみました。このような体験をしたスポーツ選手は他にもたくさんいます。
彼らに共通して言えることは、我を忘れ、勝つことさえも忘れて、全身で競技にただ没頭しているときに、その現象が起きたということです。
そして、同じく共通していることは、観客も他の選手も何も見えず、ただ「その瞬間の自分が最高に素晴らしく感じた」と語っていることです。
彼らは、「自分にもこんな力があったのか」と驚くほどの力を発揮することができたのです。ただ、それがなぜ自分に起きたのかは、当の本人も不思議に思っているそうです。
これは、決して不思議な体験ではありません。自分のすべてが、一つの事に集中して「空」になったとき、他のものはすべて自分の中から捨て去られます。あらゆるこだわりがなくなり、身も心も含めて、自分そのものが〝空っぽ〟になると、自分でも信じられないほどのすごい力が自分の内から源いてくるのです。
このように、自意識がまったく消えてあらゆるこだわりがなくなり、自分を最高に感じる瞬間に起きた体験のことを、心理学では「至高体験」と言いますが、一流のスポーツ選手は、肉体的にも精神的にも、常識をはるかに超えた限界で自分を発揮しようとしているため、このような体験をすることが普通の人よりも多いのかもしれません。
ただ、彼らも、同じ体験をすることは自分の意思では不可能だと語っています。意識してそうしようとしたのではなく、何らかの条件が偶然に重なって、気がついたらそうなっていた、というのが真相だからです。