救済の起こり〜法源誕生
昭和55年1月6日、真夜中2時。
寝ていた福永輝義氏(当時35)の眼前が突如真っ赤に輝き、まばゆい光を感じたその直後、キリストが現れ、続いて幾人かの高僧が現れて、最後に釈迦の涅槃の姿が出現しました。
このままでは人類は行き詰まる。
政治でも、経済でも、医学でも、道徳でも、科学でも救われない。
今こそ大自然を生かし続けている力そのものが天と定まり、釈迦、キリストに次いで地上最後の救済者「法源」をこの世に誕生させた。
この法源の「法」とは、天地の法則にある「法」、「源」とは、生活の中での人間に成る姿。
よって、この地上に生かされている人間は、皆もともと法源なり。目に見えないものを見よ
耳に聞けないものを聞け
生かされ生かす法源を発見せよすべてが救われる誠の道となり、これ解脱天主と定まった。
法の手でもって全人類を救い、法の足で法の道を歩み続けよ。
これすべて南無天法地源如来行なり。
その瞬間、初めての「天声」とともに法源誕生が告げられました。
天声はその後も延々と続けられました。
「人間とは何か。なぜ人生を必要としたのか。人間が人間として生きる基本は何か。なぜ悩み苦しむのか。人生を歩む上で一番大切なことは何か」
「人間はもともと喜びの表現体である」
「法源よ、お前は天のパイプ役である。天声を聞きそのまま人々に伝える役目が法源としての人生の使命だ」
「天声とは、大自然を生かし続けている主である天からの直接のメッセージであり、天からの啓示である」
「天行力とは、今現在のお前の心臓を動かしている力であり、またすべてのものを生かし続けている力のことである」
「天声、天行力は法源の意思ではどうにもならない。釈迦、キリストも天への使い人であったがゆえに天声を聞き天行力を使っていた」
そのとき、輝義氏の両手のひらの皮と両足裏の皮がひと皮ペロリと剥けていました。
それを見た瞬間、氏は何かが起きたことは悟るも、それが何を意味することなのか生まれて初めての体験なのでさっぱり理解できませんでしたが、のちに天行力が流れた時の反応であると知ることになります。
こうして法源師の道程は、この天声のままに法の手でもって全人類を救い法の足で法の道を歩み続けるところから始まりました。
手のひらはその人の観いを表し足裏は天行力が流れる度合いでその人の生きざまを表すことも、のちに天声で示されました。そして、人間の救済とは天地の法則に沿ってその人の〝観い〟と〝生きざま〟を正すことであるということも。
以来、法源師は、ただ繰り返し、天声を聞いてそのまま人に伝える救済事行の道を歩み続けました。