【質問】
30代前半ですがまだ結婚相手がみつかりません。いい人との出会いはどのように日々の生活の中で考えて、築いていったらいいのでしょうか。
【ご法話】
結婚適齢期というのは、
年齢ではございませんでした。
年齢にこだわって出会って結ばれたら、
今は悲劇です。
だから、年齢にこだわることはない。
あえて、年齢で言うのならば、
赤い糸に出会える時が「適齢期」。
これが大事なんです。
そのためには今も質問にありましたけれども、
絶対に探してはいけない。
求めてはいけない。
親があおってはいけない。
親というのは身勝手ですから。
世間体ばかり考えて、
「うちの息子が、娘が、まだこういう独り身だ。
もう、あそこのコンビニにも行けないよ。
あそこに行ったらね、必ず(知り合いに)出会って、
その家はみんな片付いているのに
うちの子はみんな片付いてねえや」。
こういう親がいるんです。
親ヅラといいますか。
子どもを私物化しているというか。
何も責任持てないんです。
だからとにかく、もうこの世に誕生したら
自分でちゃんと道を開かなくてはいけません。
それが親孝行にもつながる。
なぜ探してはいけないかと言ったら、
探すということは首から上。
自分を意識して求めることです。
求めた場合には必ず失敗する。
では、どうすればいいのか。
ただ一つです。
赤い糸の条件を自分でクリアすればいい。
観いが源いて、徳が積める自分だったら、
必ず相手も同じ条件の人と出会う。
生かしている主がいる以上は
絶対にごまかせない。
類の法則なんです。
だから、こんなヤツとよく出会ったなとおもったら、
自分もこんなヤツなんです。
性格とか、そして表情だとか
そういったものは
今いかようにでも作れるんです。
それは決め手ではありません。
とにかく、その人の生きざまであり
目に見えない一番大事な宝、
徳があるか、ないかなんです。
そこで自分に徳が10ある、としましょうか。
徳が10ある人と出会える。
足すと20。
20で新居のスタートが始まる。
逆に、頭がついている人は
みんな業だらけですから
血液を濁らせているんです。
イライラが多い、不安が多いんです。
そういう人が業で10持っているとしましょうか。
そうすると、必ず出会った場合は相手も業10なんです。
ハンサムであろうと、
べっぴんであろうと、
そんなことは論外です。
業が10。
業10と業10で、足すと業が20。
20で始まって、
いくら家具とか冷蔵庫とか、
カラーテレビを添えてスタート切っても、
1年か2年くらいしたら
ガタガタガタガタ。もう、ほんとうに始まるんです。
だから、何が新居のスタートかというと
目に見えません。
でも、目に見えないものが一番宝なんです。
家とか、家族とか、お金とか、全部目に見える。
目に見えるものは
握るためにあるから
全部誘惑なんです。
頭がつく、動機になります。
でも目に見えないもの。
「観い」でしょう。
「喜び」でしょう。
「器」でしょう。
「徳」でしょう。
それはもう、目に見えないものがすべてのその人の価値観です。
その中でもって、同じ目に見えない条件付けがくっつくんです。
だから探してもダメです。
自分がその条件を満たしていれば、
生かしている主(天)が
「よし、もうこの辺でいいだろう」
「よし、祝福と共に出会わせてやろうかいな」
天ですよ。
出会わせるんです。
この、出会いの法則。
これはもちろん46億年前から存在して
今でもあります。
この出会いの法則で
その新居が始まる。
そこに子どもが授かる。
だから家族の問題は
すべて出会いの失敗から始まる。
がんになることも
事故をすることも
倒産をすることも、
逆に幸せになることも
人間完成を親がしてくれることも
全部、これは出会いで決まる。
だから、出会いを間違えたら
とことんやられる。
それは血も涙もないんです、法則は。
我々だけです。
情けをかけたくなるのは。
「お涙ちょうだい」は
全部あれは、我々の無責任表現です。
血も涙も(ない)。
でも本物かニセモノか。
赤い糸なのか、首から上でつながった戸籍だけの夫婦なのか。
これも見極めは明快です。
だから、同じ大切な人生を使うんでしたら、
これは絶対に赤い糸で大半の人生を勝ち取ったほうが、
どれほど、子ども・子孫・両家に対しての先祖の奉公、
恩返しができるかというのは、
それは誰でもわかることです。
でも、その前に邪魔が入るんです。
ついつい、ついつい、愛情が先走るんです。
ちょっと付き合えば情が絡むんです。
そして、条件付けをついついカウントして、
これだったら老後まで大丈夫だろうなんて、
指折っちゃうんです。
全部、自分のカウントなんです。
そのカウントはすべて計算から外れる、
ということです。
まあ、赤い糸。
これを勝ち取ったら必ずお仕事は天職です。
絶対に狂ってはいけません。
(完)