今から17年前、すべては長男の不登校から始まりました。職場に母から電話が入りました。小学校5年生の長男が学校に行っていないということでした。なぜ長男が学校に行っていないのか理由が思い当たりませんでした。普通に育ってきていましたし、特別に心配なこともありませんでした。原因は何だろうと、家族を始め先生たちも心配して考えてくれました。心当たりはありませんでした。担任の先生が少しきつい先生でしたので、多分それが原因ではないかということになりました。
長男の不登校から
長男がまだ5年生でしたので、私も仕事を休み長男と一緒に過ごしました。それから1ヶ月しないうちに、父が脳梗塞で倒れ入院をしました。家族の様子が一変しました。母は入院している父に付き添い、私は家事をしながら病院通いの生活になり、長男のことだけを考えている暇はありませんでした。長男もまだ5年生と幼かったので、家にいてもそんなに深刻にならずに私の手伝いをしたりして過ごしていました。
父は8ヶ月入院し、春に退院しました。半身不随になり家で介護生活が始まりました。長男も6年生の新学期から学校に行きました。1年間は休むこともなく普通に生活をしていましたので、やれやれこれで一安心と思っていたら、中学校の2学期からまた学校に行かなくなりました。2回目ともなると、それなりの対応はわかっているつもりでも、長男の進学のことや将来のことを考えて不安になり、夫婦で悩みました。
子の問題の原因は親にある
ある日、何か不登校を直す良い方法はないものか書店巡りをしていたら、1冊の本に出会いました。その本には、子どもの問題はすべて親が悪いと書いてありました。私も学校のアドバイスで教育センターの指導を受けていて、不登校は親にも原因があると言われていましたので、『親が悪い』という言葉にもひかれ、その本を夢中で読みました。
私は幼いころから、家・家族の問題をいやというほど見たり、聞かされたりして育ってきていました。母は実家の2代にわたる嫁しゅうとめの問題、いとこたちの問題、親戚の家の問題に振り回されてきていました。母は実家の兄夫婦も、親戚の人たちも皆、問題があるから先祖供養をしなければと言い、何十年も熱心に同じ宗教を行っていましたが、問題は一向に改善のきざしはありませんでした。
私は家・家族の問題とは一体何だろうといつも思っていました。出会ったその本には「大自然のルールに沿って生きなければ、人生に問題が起きる。……その原因のすべてはその人の生きざま、5代前の先祖の生きざま、死にざまに問題があるから」と書いてありました。私は何回も何回も読みました。今まで疑問に思っていた、家・家族の問題の根がわかり、目の前の霧が晴れたような気がしました。
先祖から生きざまを受け継ぎ
私の生まれ育った家は農家で、稲作と野菜の促成栽培を行っていましたので、1年中忙しく父と母は朝から夜遅くまで働いていました。忙しいから仕事のことでけんかも絶えなく、私はそんな両親がとても嫌でした。祖父母も早く亡くなっていたので、3歳下の妹といつも留守番をしていました。そのころは、共働きの家の子どもをカギッ子と言っていましたが、私の家もそんな家でした。
26歳のとき、同級生の今の主人と結婚をしました。主人が養子に来てくれることになり、流れのまま結婚をしました。子どもも2人生まれました。主人も仕事中心でしたので、夜遅くまで働いていました。私も長男が小学校に入学と同時に母と交代して外に働きに出ました。
私たち夫婦も両親も生活のためだけに一生懸命働くだけで、生きているよろこびも感謝もなく、自分のためばかりに生きているようでした。そんな親の生き方を見て子どもが喜んで生きていけるはずがありません。その結果、長男の不登校、父の脳梗塞、私の腰痛症となって、このまま歩んではいけないと、大自然をつかさどる天から気付きを与えられたのだ思います。
人のために生きて問題が消え
私は、まず、自分が変わろうと思いました。長男と一緒に問題の原因である「頭」を取る過程を歩みました。意識を超える次元に身を置いていました。その後、長男は学校に行くと思っていましたが、行きませんでした。
それから私が変わる本格的な行がはじまりました。また書店に行き、もう1冊自然の法則の本を買い、何回も本を読みました。そこには、「願って、頼って、求めるところではなく、最低で最高を行るところ」と書いてありました。私は、すべてを賭けようとおもいました。
「七観行を一日三十回行(や)ればイヤでも人間に成れる。(昭和59年4月15日5)」と、天声聖書にありますが、私は、それを実践しようと思いました。
毎日、通勤の車の中でも、七観行を30回以上となえました。会社で今まで儀礼的にあいさつをしていたのが、自分から大きな声であいさつをしている自分がいました。
夜は三法行(さんぽうぎょう)を始め、自分が生まれてからの観(おも)い、5代前からの先祖の観いをプラスに変えることのできる法筆を繰り返しました。毎日3枚書き終えると身体がスーっと軽くなり、1日の疲れが取れるような気がしました。
1年間繰り返しました。1年過ぎたころ、地域のお世話役をしませんかと言われ、やらせていただくことにしました。
お世話役の研修の最終日には、「今まで自分のためばかりに生きてきました。これからは人のためにやらせていただきます」と言葉を発している自分がいました。
初めての経験ですが、自分のことは横に置いて、皆さんのお世話を夢中でしていると楽しくて、それを繰り返していたら、長男のこともあまり気にならなくなり、長男も元気になりました。
長男も3年生の11月、急に高校受験をして高校に行くと言いだし、1人受験勉強をして無事に高校にも合格し、その後は、学校も休むこともなく、今は社会人として普通に働いています。
人生の使命を教室で伝え
この20年間、自分と家を変えるためにやらせていただきました。
父は、14年間、母に介護され、8年前、眠るようにして亡くなりました。周りの人たちには大往生だったねと言われました。母は今、毎日三法行を繰り返しています。
20年間、母と主人の協力がなければここまでやってこられませんでした。今は2人によく一緒に頑張ってきてくれましたと心より感謝します。今の家に生まれ、今の家族に出会え、今の地域に住んで人類救済のために自分を使わせていただけることを心より天に感謝致します。今、住んでいる地域を車で通ると、なぜかよろこびがわいてきます。地域の皆さんに一日でも早く大自然の法則に出会っていただきたいと思います。
今、世の中の人たちは、先の見えない不安の中に生きています。この人生の目的も、人間の使命もわからずして人生を終える人がほとんどではないでしょうか。生とは何か、死とは何か、なぜ人生を必要としたのか、生と死の修成会、十文字クロス教室でこの身を通して体感したことを世の中の人たちにお伝えしています。ぜひ足を向けていただけたらと思います。