これまでに、三法行によってもたらされるものを、「感性」と「プラス発想」といった社会的に活かせる力の例で述べましたが、今度は、私たちの内面に目を向けてみるとどうでしょうか。
生きることに自信がみなぎる、優しい心の持ち主になれる、素直な性格になれる、魅力的な人間になれる……等々、数え上げればきりがありません。
そこで、これらのすべてを含む〝魅力的な人間になれる〟という例を挙げて、三法行によって表れる、私たちの内面的な変化について説明をしてみましょう。
さて、まず最初に、あなたが最も幸福になっているときのイメージを、夢物語で自由に想像してみてください。
さあ、あなたはどのようなことを思い描くでしょうか。
家族みんなで温泉につかってのんびりしている夢、恋人と結婚して素敵な新婚生活を送っている夢、別居している娘夫婦が親孝行のために訪ねてくれる夢など、人それぞれに、このようなことが実現したらいいだろうな、というイメージがあると思います。
あくまでこれらは目に見える幸福であり、これらが幸福のすべてだと言っているわけではありません。むしろ幸福というよりは〝望んでいる〟ことですが、このように、自分なりの幸福・希望をイメージしているとき、誰にも共通していることがひとつあります。
それは、その夢の中の主人公である自分が、とても〝魅力的な自分〟になっているということです。
案外、このことに気づく人は少ないようですが、魅力のない自分のままで、幸福な自分を想像することはとても困難なことなのです。いま現在の自分のままで、先ほどのような夢がかなった場合を想像してみてください。すると、本当に願っていることは、〝魅力的な自分になりたい〟ということであることが、よく分かるはずです。
実は、幸福になりたいということと、自分が魅力的になりたいということは同じことなのです。幸福になれたから魅力的になるのではなく、魅力的な人間になれること自体が、幸福の実現だと言ってもよいのです。
ここでいう魅力とは、容姿が美しいとか、他人より優れた能力を持っているとか、性格が温和であるといったことではありません。あなたを生かしてくれている〝あなたの生命の魅力〟のことを言います。
先に、「人間は喜びの表現体」であると述べましたが、私たち人間の生命は、喜びのエネルギーそのものです。その喜びのエネルギーが、自然な形で身体いっぱいに満ち満ちてくれば、あなたの生命が持つ魅力は、あなた自身の魅力となって現れてくるのです。
あなたのこれまでの人生の中で、一番あなたが魅力的だった頃を思い出してください。それはいつでしょうか。あなたが生まれてまだ年端もゆかない頃だったかもしれません。あなたの笑顔や寝顔を見ているだけで、両親も祖父母も、たまらなく愛しくて、無償の愛を注ぎたい気持ちでいっぱいになったのです。それだけ魅力的だったのです。
なぜ、そんなにも魅力的であったかというと、それは生命の喜びのエネルギーを身体中で表現できていたからです。これだけ純粋で、これだけ本物の魅力を私たちは生まれたときには持っていました。そして、いまもなお身体の内に持っているのです。
その魅力が大人になるにつれて失せていったのは、その喜びのエネルギーを表現できなくなってしまっただけの話です。
この本物の魅力を、いま一度、あなたの内から引き出すことができれば、幼少の頃に比べて知識も経験も、そして知恵も備わった現在のあなたは、人間として素晴らしい魅力を発揮することができるのです。
そして、あなたを見る人々や、接する人々が、「あの人のようになりたい」とあなたを評したら、それは本物の〝魅力的な人間〟になれた証拠です。
あなたの容姿や、洋服のセンス、マナーの素晴らしさといった表面的な魅力は、それはそれで1人で生きているわけではない社会において最低限身につけておかなければなりませんが、人の目を引きつけることはできても、人の心を引きつけることはできないかもしれません。外側を懸命に磨いても、それは幸福を実現する要因としては小さなものです。自分の内側にある本当の魅力こそが、幸福を実現させるエネルギーになるのです。
あなたが身にまとっているモノをすべてかなぐり捨てて、丸裸になったとき、身体の内から源いてくる〝本当の魅力〟が、あなたを輝かせていれば、人は誰でも「あなたのようになりたい」と思うことでしょう。そのときのあなたは、人間として本当に魅力的であり、そして、本当の幸福を実現していると言ってよいでしょう。
自分に自信を持つことから始まる
人間本来の魅力を失った理由は、自分にまとわりついた欲望や見栄や自尊心といった、実にさまざまな〝こだわり〟に振り回されている間に、自信を喪失してしまったからです。求めても得ることができない不満やあせりを何度も味わっているうちに、そんな自分に嫌気がさして、自分で自分自身を認めることができなくなったのです。
自分という人間に不安感や不信感を覚えると、その内にある〝本当の自分〟がどれだけ素晴らしい魅力を持っているかということに気づくことはできません。仮に気づいたとしても、今度はその魅力そのものを信用することができないのです。
このように、自信を失うということには、「私はダメな人間だ」と、自分のすべてを否定してしまう怖さがあります。
しかし、そんなにも自分をダメにする〝自信〟そのものが、自分を計るに値するものであったかどうか、疑ってみる必要があります。なぜなら、過去の成功した体験が、つまり、求めて得ることができた体験が〝自信〟になっている場合が多いからです。
そのような自信は、一度失敗すると、たちまち喪失してしまうものです。そんな不安定な自信を、自分の判断基準に置いて人生の支えにしていること自体に問題がありはしないでしょうか。
本当の自信とは、あなたの生命に与えられている使命と、その力と魅力の素晴らしさを自ら信じることです。これには理屈も確証も必要ありません。ただ無条件に信じきってしまうことです。そして、自分の生命の素晴らしさを、自分を計る〝基準〟に置けば、それは一生揺らぐことのない〝自信〟となって、あなたを支えてくれるのです。
それを可能にしてくれるのは、あなたの内から源いてくる「観い」です。
人生は、あなたの〝思い通り〟にはなりませんが、あなたの〝観い通り〟にはなるのです。その観いが源いていれば、「人間としての魅力」がわいてくるのと同時に、これまでに述べたような社会で活躍できる能力も発揮できるようになります。
あなたが自信を持とうと意識しなくても、あなたの内から自然に自信に満ちた力がわいてくるのです。
自信と魅力は表裏一体のものです。自信のある人の振る舞いは、明るく活気があるため魅力的に感じます。その魅力は周囲の人に受け入れられるため、さらに自信が持てるようになるのです。
自信のない人は、そんな自分に魅力を感じないため、自分自身を嫌いになるという心理が働きます。そのために、自分の内側を見ることさえ避けるようになり、その結果、本来の自分の素晴らしさに気づくチャンスさえ喪失してしまうのです。
物事は何でもそうですが、良い方向へ回る循環と、悪い方向へ回る循環があります。どちらに回るかは、ほんのちょっとしたキッカケによって決まってきます。
良い方向へ回るためのキッカケは、いろんな欠点のある自分を、いまのままで丸ごと好きになることです。自分を好きになれば、自分に関心が向いてきます。そうすれば、自分の内にある〝本当の自分〟に気づくことができます。すると、その魅力を表に出してみたいという気持ちになれるはずです。
私たちの内には、いろんな魅力がいっぱい詰まっています。それを覆っているものを取り払えば、私たちは自然に〝魅力的で素晴らしい人間〟になることができるのです。