私は43年前、永友家の3人きょうだいの長女として、私はこの世に誕生しました。
私がおなかにいるとき、母はつわりがひどく、父方の祖父に「そんなにきついのなら、子どもをおろせ」と言われ、一時期父は、私を取るか、母を取るかの選択を迫られる状況にあったそうです。が、両親の私を守る気持ちから、私は無事誕生できたそうです。
病弱でいじめにも遭っていた子ども時代
私は、物心つくころには、母が父方の祖父母から土地特有の半端ではない嫁いびりを受けたことを母から聞かされていました。相当ひどいこともされていたらしいと知り、私も祖父母にいつしか憎しみのような気持ちを抱くようになり、次第に祖父母に素直になれないようになっていました。
私は小さいころから病弱なところがありました。今思えば、私の体を心配してのこともあったのでしょうが、母は子どもを握りしめるところがあり、私はそれが嫌でたまらず、子ども心に「何で私はこの家に生まれてきたんだろう?」「私は必要な人間なんだろうか?」とよく思っていました。
そんな私は、中学2年生のときに〝いじめ〟に遭い、なぐられたり蹴られたりする日が毎日のように続き、体に青あざができるほどのこともありました。最初、いじめに遭っていることを両親に伝えたいとも思いましたが、仕返しが怖くて何も言えずにいました。しかし、あるとき、思い切って学校でいじめられていることを父に話すと、父はものすごい勢いで学校に抗議に出掛けていきました。父のおかげで、私はそれからいじめに遭うこともなくなりました。
調理師を目指すも体調不良で職を転々
高校卒業後は、宮崎県を離れ、三重県で働きながら調理師免許を取得のために学校に通うようになりましたが、体調もすぐれず、仕事も休みがちでした。ホームシックで、家に電話すると、母に「自分が出たいと言って出た以上は、免許を取るまで帰ってくるな。帰ってきても家には入れないぞ」と叱られ、電話を切られてしまいました。そのときは「なんと冷たい人だ」とそのときは思いましたが、私のために言ってくれた一言だったと今は思えます。
就職2年目には、仕事にも学校にも慣れ、調理師の免許も取得して、学校を卒業し、宮崎県に帰省できました。しかし体調がすぐれず、ゴルフ場のキャディーの仕事ほか、さまざまな職を転々としました。
頭を取って心身がすっきりとして元気に
大自然の法則と出会うチャンスがやってきたのは、そんな平成7年のことでした。体調面や男性との出会いの誤りに苦しんでいた私のことを心配した会社の方から、『愛を超える結婚があった』の本を読ませてもらったことがきっかけでした。その半年前にはほとんど寝たきり一歩手前の状態で、毎日がつらく、まさに生き地獄にいるようでした。これからどのようにして生きていけばいいのか?自分は何のために生きているのか?と、不安だらけで、暗いトンネルの中をさまよい歩いているような感覚だったと思います。
私は法主さまにお目にかかると、ようやく明るい場所へ登ってこられたような感覚を覚えました。問題の原因であるこだわり=頭を取る決心をしましたが、その過程に入る前の1週間は、体力面ほかとても不安でした。
それでも無事頭が取れると、あれほど体調が悪く、余計なことを考えてしまう神経質なところも消えて、楽になっていました。自分がどのように歩んでいけばいいのかも分かり、本来の自分自身に目覚めた瞬間を感動の中で味わっていました。
家族のおもいが通じ合い、皆で楽しく三法行を
家に帰ると、父方の祖父母が牛小屋のところで2人で座って私を待ってくれていました。私の顔を見るなり、「よく頑張って帰ってきたなあ」と泣きながら一言言ってくれました。祖父は気丈な人で、それまで私は一度も泣いた顔を見たことがなかったので、とてもびっくりしましたが、その姿に私も込み上げてきて泣いてしまいました。祖父に、「じいちゃん、これから頑張るね」と言った瞬間、子どものころからの祖父母に対する憎しみが消えていました。後から父に聞いた話ですが、父は祖父に私が頭を取りにいっていたことを伝えていなかったということで、なぜこんな言葉が出てきたのか、とても不思議です。
それから、家族全員が頭を取り、皆で楽しく三法行(さんぽうぎょう)を繰り返すようになりました。1年後に祖父は他界しましたが、祖父が私を泣いて迎えてくれたあのときの姿は今でもまぶたに焼き付いています。
母もガンを克服
平成19年、母の体調に異変があり、病院に行くとガンだと家族に告げられました。私は、それまでは母のことを、「何にもしない人だし、別に家にいなくてもいいのに」などと不遜にも思うことがあったのですが、母がガンの宣告を受けるととてもつらい気持ちになり、悩みました。「母にもしものことがあったら、どうしよう?!」と父と何度となくいろいろな話をしました。「もしものときは、私が永友家を継ぐから」という話もしました。母の前では、務めて明るく振る舞いましたが、家へ帰ると気持ちは暗く沈みがちでした。
母のきょうだいからは、母がガンになったのも、同居している家族が母に心配を掛けたからだと責められて、ケンカをしたこともありました。でも、頭を取って三法行を繰り返している私は、「お母さんは絶対に大丈夫だ」というおもいがいつしかわき、不安はありませんでした。
母が入院中は、私が母親代わりをさせてもらう気持ちで、3年間、無我夢中で家のことや仕事をさせてもらいました。母はその間、再発もありましたが、乗り越え、ついにガンを克服し、今では以前よりも元気になりました。ほかにもいろいろな病気がある母ですが、「全てが天さま任せよ」と淡々と語ってくれます。
よろこびがよろこびを呼んで
いろいろなことがありましたが、母の病気を通じて家族が一丸となり、以前に増して家族のきずなが強くなりました。天さまが、「本物の家族に成りなさい」と言ってくれたような気がします。本当にありがたいことです。これからは、以前親不孝した分、両親との時間を大切にし、少しでも親孝行できればいいなあと思っています。
両親と弟、父方の祖母と5人暮らしの現在。4頭の牛と7匹の猫も大切な家族だ。農作行を手伝い、95歳になる父方の祖母を介護するかたわら家事を行い、両親とともによろこびの輪を広げています。父親を筆頭に、無農薬家族園でのいろいろな作業を家族みんなでやらせていただいています。一年中忙しいのですが、その中、不定期開催のよろこび広場で、うどん作りやぼたもち作りをして、地域の方との交流をさせていただいています。
今、宮崎では三法行をやる方がどんどん誕生していて、よろこびがよろこびを呼んでいます。私も地域の方や両親と一緒に楽しくお世話をさせていただいています。皆さんに喜んでいただけるような場を用意させていただいておりますので、ぜひ気軽にお越しいただき、自然の法則に触れていただきたいと思っております。