父の早世とその後の苦労
―― 昭和11年のお生まれとのことですが、どんな子ども時代を?
■ 戦前から高校卒業まで広島県で過ごしました。幼稚園のころ、弟と二人で川の上流で水遊びをしていたら、下流のコイの飼育池に泥水として流入し、観賞用のコイがたくさん死んでしまうということがありました。そのような大事件でも父と母は「大きな失敗は言わなくても分かるだろう」と叱りませんでした。父は、「国を憂い宇宙を含め全てのものが調和していかないと駄目だ」と私たちに教えていました。小学校の1年から3年まで父と一緒に道場に行って、座禅をしたり断食をしたりして、修業の仕方を教わっていました。また、幼稚園のときは源氏の大将役、小学校のときは落下傘部隊はランランランの役で、大人の人たちと一緒に兵隊さんの慰問に行きました。国民学校1年のときに、新聞社主催の中国地区の書き初め大会で「ヒノマルノハタ」と書いて1等賞をもらいました。中学時代は野球、高校時代は生徒会活動で、皆と楽しく過ごしました。
―― 優等生でいらして、お父様がまた立派な方だったのですね。そのお父様を早くに亡くされたとお聞きしました。
■ 父は朝一番で村を出てかなり離れたところにある仕事場に行く働き者でした。台風で村に架かっている、船の船底で造った橋が壊れていたのを知らずに通ったことで、石に打ち付けられ、病院に運ばれましたが、船での搬送のため時間が掛かり、出血がひどく闘病生活41日目に亡くなりました。自分がいよいよ駄目だと思ったときにベッドのかたわらに母を呼び、寝たままの状態でペンを取り、「今日よりはあの世に逝きて我、仕事の残りをさせていただく嬉(うれ)し楽し」と書いて、私に渡してくれと言って、その2日後に亡くなりました。そのとき書いた書が今でも残っています。
―― おいたわしいことで、どれほど大変な思いをされたことでしょう。それにしても、お父様の強い精神力には驚かされます。お父様を亡くされた後は、下に大勢のきょうだいのいるご長男で、頼りにされたのでしょうね。
■ 母は気丈にも、生命保険の外交員となって子ども7人、一生懸命育ててくれました。私は、高校を卒業して本来は、長男として父に代わって母を助けて生活をしていかなければいけなかったのですが、夢があったので叔父に助言を求め「東京に行きたい」と相談し、「鉄は熱いうちに打て」だと母を説得してもらい、「人間到る処青山有り」の思いで東京へ出てきました。
―― 東京にお知り合いが?
■ 先輩が東京にいたので、2週間ほどお世話になりましたが、就職の当てはなく、高校のときに生徒会長をしていたので、村の著明な方に書いていただいた紹介状を持って上京しました。
―― 生徒会長さんをしたことでの紹介状を持参で。すぐに就職できたのですか?
■ 紹介状で訪ねた方々は、皆さん「仕事はそのうち」と言われたので、「自分で道を切り開くべき」と思い、自力で新聞配達の仕事を見つけて働きました。その後は印刷屋さん、広告会社でノウハウを蓄積して会社を設立しました。以来、人々のためになるように心がけて、ガス、電気、建設、道路など、安心とメンテナンスの仕事をしてきました。必ず相手の方の期待以上の仕事をさせていただくように努力してきました。
―― なかなかまねのできることではありません。それからずっと東京暮らしを?
■ 22歳のとき、母が急性心筋症のため他界しました。田舎なので、お医者さんが到着したときには手遅れでした。葬儀の日、母は声を掛ければ生き返るのではないかと思うぐらいきれいな顔をしていました。このとき、7人きょうだいの長男であることを自覚し、責任感に目覚め、母への甘え心がなくなりました。弟妹が小さかったので預かってくれるところがなく、不安はありましたが「私がやるしかない」と思い、東京でみんなして頑張ろうと話し合い、決心、実行しました。生活は大変でしたが、今はそれぞれ家庭を持つことができました。
その後、あるデパートの宣伝広告の仕事をしていたときに、今の女房と出会い、以来、苦楽を共にしてきました。
超写経のすすめ教室との出会いから
―― ごきょうだいを束ねてこられたのですね。そのご苦労の末、大自然の法則に出会われました。
■ 2011年、チラシをいただいたことで、超写経のすすめ教室に参加しました。「写経をやりませんか」と言われたような気がしたので、戻ってチラシを受け取って、書いてあった、「琵琶湖の自然を守る会(超写経のすすめ教室)」に参加しました。私は環境問題に取り組んだこともあり、「琵琶湖の自然を守る会(超写経のすすめ教室)」はどのように琵琶湖を守るのか、好奇心と興味が起こりました。チラシを渡してくれた方が教室で行ってくれた説明は純でむくで、父、母を思い写経をしているうちに、父がいつも話してくれた、天の理、大調和につながっているのかも知れないと思いました。特に七観行(ななかんぎょう)は般若天行(はんにゃてんぎょう)の現代風にしたものという話が、僕の中にスーッと入ってきました。
―― 実際に超写経をしてみて、いかがでしたか?
■ 言われた通り素直にやってみようという気持ちと、書道を学ぶ気持ちの両方でやりました。「琵琶湖の自然を守る会(超写経のすすめ教室)」に参加したときに、法徳30日の三法行帳をいただいて持ち帰っていました。しかし、5巻くらいは書いたのですが、そのうちやろうと思って先送りになってしまっていました。
その後1ヶ月くらいたったときにお手紙をいただきました。「どんな感じですか。重荷になっていませんか」といったような内容が書かれていました。機転の利く誠実な人だと感じました。お手紙の文章を見て良い人だと感じました。
その後、『頭を取るしかない』の本を購入いたしました。
空間に満ちあふれるエネルギーを体感
―― それから、10月3日の琵琶湖大観祭に参加されました。
■ 夜行バスで参加して、朝、皆さんと一緒に三法行をやらせていただきました。
―― 三法行帳を壇上で納められて、いかがでしたか?
■ 舞台に上がったときは、この空間の生命力あふれる「気」は何だろう、七色の虹の光が満ちあふれている大変不思議な世界だと思いました。こだまする森林の世界を感受させていただき、一緒に共生、共鳴していこうと思います。やらせていただきます。
―― 宇宙・大自然の波動を満喫なさったのですね。あさなる会館にも定期的にいらっしゃっています。その年、初めての超天行力天授大祭で三法行一宝を手にされ、年に一度の超天行力を受けられましたね。
■ 宇宙の創造主・「天」からの生命活性エネルギーを浴び、生かされている自分に感謝して、三法行を「繰り返し」実践して、前進していきたいと思いました。
―― おめでとうございました。今後への抱負を一言お願いいたします。
■ 「喜びの表現体を実感していく」この一点です。
―― ありがとうございました。