私は、小さな農家に3人きょうだいの長女として生まれました。私が幼いころ、家はとても貧しく、祖父母、父の弟、妹も一緒に暮らす大家族で、生活は大変でした。
祖父は毎晩のように酒を飲んでは暴れ、母とよくけんかをしていました。おとなしい父と祖母は見ているしかないようでした。母は耐えられなくて実家に帰ることもしばしばで、私は学校から帰ると母がいなくて、何度も寂しい思いをしました。
貧しく大変だった子ども時代
けれど、家にいるときに母は、いろいろな不満を私に吐くのでした。私はそんな母に強く反発することもありました。
父は若いころ、体が弱く、あまり働くことができませんでしたが、中年になったころには少し丈夫になり、農業のかたわら町のお店などでも働けるようになり、少しずつ生活は楽になってきました。
私が高校を卒業して勤めだしたころには、祖父母も他界して、家族5人の生活になり、私も家計を助けるようになると、家族も人並みの生活ができるようになりました。
「自分だけが一生懸命頑張っている……」と考え
私は、29歳でお見合いをして、地方公務員だった夫の元に嫁ぎました。家計を支えるために仕事を続けながら、争いのない幸せな家庭を築こうと努めました。
けれど、結婚して1、2年、子どもができなかったので、義母に「どっかから子どもをもらってこなければいけない」と言われたときには、とても心を痛めたのを覚えています。その後1年くらいしてから、長女が生まれ、続いて、長男が生まれると、主人の両親は子どもたちをとても可愛がり、よく世話をしてくれました。
こうして家族6人の楽しい生活が始まったかに見えたのですが、忙しく仕事をして帰ってくる私には、義父母のやってくれている家のことに口出しができず、次第に寂しい思いをするようになりました。
結婚当初、私は夫より給料が高かったことから、自分が家を支えているという自負心があり、一方、家の中では自分の思い通りにならないという気持ちがそれに入り乱れ、だんだん、「自分だけが一生懸命頑張っている……」と考えるようになりました。
物を言えない自分がどんどん苦しくなり
結婚前、実家で私は母の愚痴を聞かされてきていました。母が嫁としても苦労が多かったせいもかもしれませんが、私は、主人の両親に不満があっても、主人や子どもには、嫌な思いをさせてはいけないと思って我慢をし、悪口や文句は言いませんでした。夫婦げんかすることもありませんでした。
そうしているうちに、私は物を言えない自分がどんどん苦しくなり、家族といることが本当に苦しいと思うようになりました。子どもが中学に入るころには、この子どもたちが成人したら、離婚しようと思うようになり、私は死んでも婚家の墓には入りたくないと思っていました。
そのころに思ったのは、「人間は苦しむために生まれてきたのではないはず。なのに、なぜ生きることが苦しいのか」ということでした。そんな42歳のころ、1冊の本に出会ったのです。自然の法則の本でした。
頭を取って生まれ変わり
その本の中には「よろこびの生活」とあり、「私もそんなよろこびの生活がしたい」と思い、私もいつか、本にあるように頭を取りたいと思うようになりました。
それから1年後、私はついに頭を取ることができ、それまでの私とは正反対に生まれ変わることができたのです。
頭が取れると、それまでの自分はなんと自分中心の人間だったのかと気付かされました。「あの人に変わってほしい。このことが変わってほしい」と周りに求めてばかりで、自分だけが可愛く、自分以外の人のためには、お金も物も時間も使えない自分だったのです。
思い返してみれば、若いころ、私は結婚したら自分の両親のようにはなりたくない、もっといたわり合える夫婦になりたいと思っていました。結婚してからは、義父母のような夫婦になりたくないと思いました。しかし、どちらの夫婦のようにもなりたくないと思っていても、いつしか私は同じようなことをしていたのです。
子どもたちも自分と同じような生き方をなぞるもので、娘が小中学校のときに、ものすごい言葉で私に反発するときがありました。そのとき私は、「親に向かって何だ、その物の言い方は。普通にしゃべれないのか!!」と叱ったことがありましたが、後で考えてみると、「あぁ、私も同じような口調で母に反発したときがあったんだ」と思い、そのときの母もどんなに寂しい思いをしたんだろうと思いました。
全てを生かし、自然体でものが言えるように
頭を取って繰り返し三法行(さんぽうぎょう)をやっていると、いつのまにか、いろいろなことに対するこだわりがなくなり、自分のことは横に置き、お金も物も時間も人のために使うことができるようになったのです。また、気がつけば智恵がわき、人も物も自然と生かすことができていて、将来への不安もなくなってきました。
それから、言いたいことがあったらきちんと言うことができるようになったので、言ったら一巻の終わりだと思い我慢していた結婚生活も、自然体でものが言えるようになると、どんどん楽しくなっていきました。
笑い合える家族に
私の変わった様子を見て、身内の者も変わりました。また私は、家に流れているものを変え、法則に沿う繰り返しをしてきました。こうして、子どももやさしく、心配のない子に育っていきました。
今の状況に満足できず、いつも何かを求めていた母は、68歳で人生を終えました。私が実家に行くと「おめえが来ると元気が出る」と言って喜んでくれた母。若いころ、いつも苦痛な表情で台所に立っていた母が、ある日、夢枕に立ち、とても喜んでいるのでした。その側で祖父もにこにこして座っていました。私が一番求めていた光景がそこにありました。
その後、義父も、義母も亡くなりました。義母は死に際、私に「世話になったな」と言って亡くなりました。
もし、私が頭を取って三法行を繰り返し、法則に沿った道を歩んでいなければ、そのような言葉をもらうこともなく、今も家族への不平・不満・恨みでいっぱいの生活をしていたと思います。その観(おも)いを子どもにも引き継いでいただろうと思うと、自然の法則に沿った道を歩めることがどれほどありがたく、すごいことかと思わずにはおれません。
生まれた家があり、今の家に嫁いだからこそ、大自然の法則に出会うことができました。今では家族でけんかしているときでも、笑い合える生活を送っています。
超写経、また三法行が次第に広まり
義父母が他界した後、私は介護の仕事をしています。職場の人が私のことをいつも人を喜ばせているよねと言ってくれるのです。
人のために自然に動けるようになった私の周りには、超写経をやる人、それから三法行をやる人が増え、法則に沿った生活に目覚め、日々喜んで暮らしています。
私はまた、『頭を取るしかない』の本を通じて三法行を始めた80歳代の方お世話をさせていただいています。この方も、今までの苦を刻んで生きてきた人生がどんどん晴れ渡り、やればやるほど、将来への不安がなくなり、よろこびの毎日になっているそうです。さらに、この自分を人のために使うために、頭を取る道を目指しておられます。
苦を苦としない人生に
世の中にはお金も物もあって、何不自由のない生活をしていても、常に漠然とした不安を抱えて生活している人がいっぱいです。かつての私がそうであったように。でも、今の私は違います。三法行に出会い、頭を取って、人のために生きられるようになりました。「人生は苦なり」。しかし、苦を苦としない人生を送れるようになりました。
大自然の法則に出会い、頭を取るということは本当に凄いことです。世のすべて皆さんに、頭を取ってわき上がるこのよろこびで人生の使命を感じ、歩んでいただきたいと思っています。