平成7年8月に大自然の法則をつかさどる「天」と出会い、19年余りとなりました。「天」との出会いは、私にとって、今考えても不思議な出来事でした。
科学で判断できるもの以外に真実はないと思い
私は、静岡県の富士宮市で生まれ、北海道の炭鉱田舎町の小さな農家で育ちました。
私の家は浄土真宗の熱心なだん家で、身内に僧侶がいることもあってか、親族一同がとても信心深い人たちばかりでした。
そのような環境の中にあったにもかかわらず、私は子供のころから神や仏のような目に見えない存在を信じることができませんでした。俗に宗教と言われる類は大嫌いで、占いとか預言といわれるものにも全く興味がありませんでしたし、占い師や予言者は、人の心をもてあそぶ悪辣な人種だと軽蔑感さえ抱いていました。
ですから、親族が集まって神仏の話題になったり、友人・知人などが占いや予言などに興じたりしているときにも、私だけは「くだらない!」と覚めた心で話の輪にも入りませんでした。
このため、親族からはわがままだと言われたり、友人・知人などからも「お前と話してもつまらない」と言われたりしたことが何度もありました。しかし、それは少年時代から自分の目で確認でき頭で理解できるものや、科学の範囲で判断がつくもの以外に真実はないと思っていたからです。
観(おも)いの世界に次第に引き込まれ
「天」との出会いを果たしても、しばらくの間はそのような考え方に縛られていたように思います。そして、現実の世界と「観(おも)いの世界」とのギャップに悩みました。「天」という存在をスンナリと自分の中に入れることができなかったのです。
目と頭でのみ確認する現実的な自分と、知らず知らずのうちに「観いの世界」に引き込まれていく不思議な感覚にいる自分とが自問自答している状態が長く続きました。それまでの私であれば、目に見えない天の存在などとても信じられないと、サッサと活動を放棄していたに違いありません。
目に見えないもの、耳に聞けないものの中に真理が
19年前に私の身に起こったあの出来事は一体何だったんでしょうか。いまでもなぜか不思議で仕方ありません。そして知らず知らずのうちに、「目に見えないものを見よ! 耳に聞けないものを聞け! 成(い)かされ成かす法源(ちから)を発見せよ!」の天声がなんとなく理解できるようになってきたのです。それは私が長い間、目で見、頭で理解できることだけが真実だと思っていたことが間違いだったことに目覚めたことでもありました。
先祖の徳があって天と出会うことができ
「天に出会えたのはご先祖の徳のおかげ」「家との出会いは偶然ではない」という天声・天意があります。
私は養子に入って立島家に出会ったものですが、それまでの私ではあり得なかったであろう天との出会いを、立島家のご先祖の方々による大きな徳によって果たすことができたと思っています。
毎年、お盆に先祖の墓参りに行くときには、ご先祖の皆さんに感謝して頭を下げてきます。私は、ただ毎日の三法行を繰り返すことで何事もなく生かされていることは、何よりのよろこびだと思っています。
目に見えない世界を強く実感し
2015年1月、私は高次元赤い糸100日修行に参加し、目に見えないものが見える世界をより強く実感しています。
これからも地球と人類の救済のため、今まで見守ってくださってきた天、ご先祖さまに感謝し、人生仕上げに向かって一歩一歩前に進ませていただきたいと思います。