私は、1968年、東京都内に2人姉妹の次女として生まれました。4300グラムもある大きな赤ちゃんだったので、母は本当に大変だったそうです。
大きく生まれたのですが、2歳のときからぜん息になり、発作を起こす度に、母は私を背負って病院に走っていたそうです。
両親の激しいけんかが毎日続く中で
苦の刻みが多くなってきたのは、小学校のころのことです。会社帰りに毎晩酒を飲み酔って帰宅した父親が、母を怒鳴るのです。夕飯は台所に皿ごと投げられ、落ち着いて食事もできませんでした。
夜中まで毎日激しい夫婦げんかが続き、私は、母が殺されてしまうのではないか、という恐怖心で、夜中に何度もけんかを止めに入りました。
中学生で拒食症に
そんな中で中学生となった私は、テニスの部活動や勉強を夢中でこなしていましたが、3年生のときに拒食症を患うようになりました。
そのころから会社を休みがちになった父の給料は酒とばくちで消え、借金が膨れ上がっていきました。
私は、生活を支えるために夜中まで働いている母がかわいそうでたまりませんでした。
一方で、私も姉もそんな母は絶対で、反抗することはできませんでした。
家庭は修羅場と化し、落ち着く場所もなく
私は、高校に入学すると、アルバイトをして生計を助けました。
さらに状態が悪化した父に対して、私は殺意さえ抱くようになっていました。家庭は修羅場と化し、落ち着く場所もありません。アルバイトに明け暮れ、夜遊びをし、真夜中に帰宅するという毎日が続きました。
アルバイト先の出会いから結婚へ
高校卒業後は、美容学校を卒業し美容師を目指しましたが、インターンの給料は思ったより安く、夜はアルバイトを続けました。
そのとき出会ったのが、今の主人です。とても真面目に働く姿に魅力を感じて、交際を始め、妊娠して結婚しました。
「うつ」から自殺未遂をし、出産を諦めざるを得ず
しかし、幸せなはずなのに、私はうつ病を発症してしまったのです。おなかに赤ちゃんがいるのに食べることもできず、一日中口もきかず横になっていました。
頭の中は悪いことばかりで、苦しくて絶えきれず、自殺未遂をしました。
そのまま精神病院に入院することになった私は、出産を諦めざるを得ませんでした。
処方された薬の助けで、ひどい「うつ」はなくなったものの、「うつ状態」は長く続きました。
「人間は喜びの表現体」の一言にくぎ付けに
私は病気を治そうと、ありとあらゆる方法を模索しました。気功、催眠療法……、何でも試みましたが、病状は一進一退を繰り返しました。
その後何度も自殺未遂をし、もう何をやっても治らないと諦めていたとき、主人が1冊の本を持ち帰ってきました。
私は本を読むのも苦痛でしたが、少しずつ読み進めていくうち、中の一言に目がくぎ付けになりました。――「人間は喜びの表現体」。
天からの大自然のエネルギーを一身に浴びて
うつ病を発症してから7年、生きているという実感はまるでなく、頭の中は苦しいことばかり、「何も要らないから、生きている実感が欲しい」、そう思っていたときのことでした。
最後にこれに賭けてみよう……。これをやっても治らなかったら、やはり死ぬしかない。――こう思った私は、その年の天行力(てんぎょうりき)大祭に参加、天からの大自然のエネルギーを一身に浴びることができました。
頭を取って、「よろこびの表現体」に生まれ変わり
それから三法行(さんぽうぎょう)をやり始め、気が付くと、起きていられる時間が次第に長くなっていました。
問題の原因である「頭」を取るプログラムに参加しました。頭が取れると、「よろこびの表現体」に生まれ変わった自分がいました。
家に帰ってきたときの第一声は、「治ったよ~!」でした。あの瞬間を今でも忘れることはできません。
落ち込むことが少なくなり
その言葉を聞き、主人も母も本当に驚いたそうです。それがきっかけで、母と主人も大自然の法則に沿って歩むことになりました。
私は「頭」が取れ、三法行を繰り返していると、落ち込むことが少なくなりました。問題は問題を作り出している頭だった。「頭を取るとよろこびがわく」――私はそれを周囲に伝えずにはおれませんでした。
家族が次々頭を取って、三法行を繰り返すようになりました。家族で家に流れているものも変えていきました。
アトピーは血液の濁り、親の私たちの責任だと
その後しばらく三法行の繰り返しを中断したことがありました。
そんなとき、出産した次男は、生後2ヶ月から重症のアトピー性皮膚炎に苦しんだのです。
激しいかゆみで夜も眠れず体をかきむしる子どもの手を握りながら、私は親として何をしてあげられるか悩みました。
それから夫婦で話し合い、方向を見いだすことができたのです。「2人でまずやれることから始めよう。三法行を毎日繰り返して、よろこびをわかそう。アトピーは血液の濁り、親の私たちの責任だよ」と。
家族のよろこびとともに子供のアトピーも改善
私は主人とともに一歩を踏み出しました。パワーアップした三法行は毎日休むことなく繰り返し、幼い長男も一緒にやるようになりました。
家族によろこびが戻ってくると、次男のアトピーは改善していきました。「もう足を止めることなく、一歩一歩やらせていただこう」とおもいを固めることができ、大自然をつかさどる天からの気付きを本当にありがたく思いました。
三法行を家族で繰り返し
毎朝、三法行を家族そろって行い、家事、幼稚園や学校でのPTA活動の中で、できることをやっていました。
長男が小学校2年生のときには、親子で天華人間家族愛親子育成塾院に入塾院しました。
3年間、本当に楽しく歩ませていただき、自分でも気付かなかった自分らしさを表現でき、親として素直な自分になれました。月1回の観合宿が親子で待ち遠しくて、観合宿から観合宿までの繰り返しを2人で一緒に喜んでやることができました。
子供たちが幸せな家庭で育つお手伝いを
親子塾院を卒塾後は、「しつけ道場」のスタッフとして歩むようになりました。
私は道場主の先生の親子に対する温かさが大好きで、子供たちが幸せな家庭で育つお手伝いができることがうれしくてたまりませんでした。
携わりながら、世の中の子どもたちが喜んで生きていかれるような社会を作りたいと思うようになりました。年3回開催される前に行う念入りなミーティングで、スタッフのおもいがひとつになり、よろこびいっぱいのしつけ道場となっています。
天華十法と天華食で世の中が笑顔いっぱいに
子育てを精いっぱいやる。できることを喜んでやる。家族で天華十法(てんかじゅっぽう)と天華食を基本とし、喜んで生活する。――そうした中で、私のやっていることならやってみたいと、三法行を始める方もいます。
やはり家族の和だと思います。私は家庭に恵まれずに育ちました。家族がよろこびいっぱいで、天華十法と天華食を基本として生活する。その家族の和が世界に広がれば、何の問題も、心配も不安もなくなる。世の中が笑顔でいっぱいになる――そう強くおもっています。
「赤い糸」のパートナーがいてくれたからこそ
その家族は、共に同じ方向に向かって歩む赤い糸のパートナーの主人がいてくれたからあります。7年間、病気の私を支えてくれた主人に本当に感謝しています。主人の支えがあって、今、生かされています。
「しつけ道場」では、幼いころ遊べなかった分、子どもに返って、参加者の子どもたちと一緒に遊んでばかり。琵琶湖での湖水浴も最高です。今後も、「しつけ道場」のスタッフとして、親子が、家族が、よろこび生活を送っていけるように、お手伝いしていきたいと思っています。
原因は、問題を問題とする自分
今の世の中、私のようにうつに苦しむ人がどれほど多いことでしょう。原因は、問題を問題とする自分であること、それをクリアすることで、現象は変わっていくのです。
苦のどん底から救ってくれた大自然の法則を、これからも世の全ての方々にお伝えしていきたいと思っています。