私は昭和15年(皇紀・紀元※2600年)、香川県高松市に父文雄、母千代子の、3人の子の次男としてこの世に生を受けました。その年は紀元2600年を祝い、全国でちょうちん行列のお祝いをした年でもあったそうです。
祖父の時代からは鉄工所を立ち上げ
県の西部の善通寺市は弘法大師空海上人の生誕地でもあります。
柳家のルーツをたどれば、5代前のご先祖様は、瀬戸内海の小さな島、小豆島の柳という場所で瀬戸内海を牛耳っていた、水上水軍の船の製造、修理をしていたとのことです。
祖父の時代からは鉄工所を立ち上げ、漁師さん、また祖父の趣味でもあったのですが、競輪選手の育成にも力を入れ、全国の競輪選手がわが家に出入りしていました。
祖父母はお人よしで、修理代はもらわず、優勝したときに選手が封も切らず賞金、入賞金やら優勝カップを置いていき、優勝カップの山ができたのは、子供心に不思議な光景でした。
徳と器の大きなご先祖様だと
父は祖父の血をそっくり引いたのか、新造船の建造費とか、修理代を負けてあげていたようです。母は肝っ玉母さんよろしく、貸し金の取り立てに日夜駆けずり回っていたようです。
また、柳家の一党は大酒飲みで、盆、正月には顧客、近所の人たちを招待して、1斗だるが何個も工場の入り口に置かれていたのが今もって思い浮かびます。当然、私の兄弟、いとこ、おいたちも、何かにつけ酒をこよなく酌み交わしています。
新幹線の設計に携わって5年後、起業して
そんなご先祖の血を受け継いだのでしょう、私は学校を卒業してからずっと設計畑で、電車の電気系統(コントロール部分)と車輪と台車の設計をしていました。皆さんもよくご存じの、新幹線のゼロ型※※の電気系統にも携わりました。
新幹線の設計を始めて5年ぐらいして、このままではいけないと思い退社して、会社を興しました。結婚して1年くらいで、前の会社の福利厚生が良かったので、妻の反対はありましたけれど。独立当初は大変でしたが、昔からの知り合いが後押ししてくれ、ちょうどバブル時期でしたので、波に乗りました。
日本で初めての試作機をいろいろ作り
日本で最初の施設の仕事が多く、今はほとんどの病院にあります、CTスキャンの試作機を作りました。大変だったのは元になったのが外国の図面でしたので、寸法が「インチ」で書いてあるため、「センチメートル」に直し誤差を計算してピッタリにするのですが、図面が2500枚くらいあり全て換算しました。当時は、会社に寝泊まりして使命に燃えて仕事をしていました。
そのときの経験が役に立ち、お金を数える機械ほか、日本で初めての試作機をいろいろ作りました。
家を代表して、ご先祖様の汚れを取り除き
こうした歩みを経て、奇跡とも言える大自然の法則をつかさどる天との出会いを果たすことができ、本当に柳家のご先祖様は徳と器の大きい人だったんだと、心から柳家に生まれて本当にありがたいおもいで、先祖5代前からの大掃除に取り組んでいます。
法筆をしていると、この両親に生まれて心からありがとうを言えるようになっているのに気付かされています。ご先祖様の汚れを取り除き、家を代表してやらせていただくことのよろこびを繰り返す毎日です。
柳家のきずなはまだあり、祖父の時代から伯父さん、叔母さん、いとこが5年に1回「いとこ会」が開かれていて、父の代、そして私たちに引き継がれています。何があっても柳家一致団結してお互い切磋琢磨(せっさたくま)して、柳家の繁栄を皆が維持し続けていることに、本当にご先祖様ありがとうと感謝しています。
ただ繰り返すことのよろこびを得られ
忘れてはならないのが、5年前に大自然の法則との出会いにつながった方とのご縁です。
そのご縁がなければ、多分自分を変えられないまま家庭では頑固おやじで、「風呂、飯、寝る」の三言生活をし、会社でも部下を叱り飛ばして苦を刻み、普通の人生を歩んでいたと思います。
大自然の法則に出会い、自分のない世界、ただ繰り返すことのよろこびを得られる体験は絶対に体感することがなかったと思います。人間のみならず生けるもの全てに対して、「ありがとう」と素直に吐ける自分になりました。
願わず求めず、毎日天華十法を
これからも先祖・家族・ご縁のある方、天と出会いに感謝し、願わず求めず、毎日天華十法(てんかじゅっぽう)を始めとした行(ぎょう)を繰り返し、出会いの大切さ、今の自分になれたことを本当にありがとうと、思いきり世の皆さんにお伝えしていきたいと思っています。
※ 皇紀 日本書紀の記述により、神武天皇即位の年(西暦紀元前660年にあたる)を元年とする紀元。現在一般には用いられない。【大辞泉】
※※ 新幹線車両