私が大自然の法則に出会ったのは、20年前のことです。
30代の当時、年齢とともに崩れていく女性の体型維持をうたう下着の「ファンデーションアドバイザー」を職業として40代に突入。好成績を上げながらも、職場の人間関係や機構の理不尽さに悩まぬ日はありませんでした。
入院一歩手前の半病人状態で
家庭でも、途中同居した夫の両親や夫との関係にひずみが生じ、一生懸命育ててきたはずの2人の子供たちのことでも心配は尽きませんでした。
「気学」に凝る上司の影響で、良くなりたい一心で「気」を取り入れようと、さまざまな規制を作る中で暮らしていました。
大自然の法則に出会い、法源法主さまにお会いしたとき、私は入院一歩手前の半病人状態でした。
「自分の行きたい所には行っていいし、自分の言いたいことは言う、やりたいことはやっていいんだよ」と言われたときには、悩みが一度に消えたようで気持ちがすっきりとしました。
心身ともにすっかり健康を取り戻し
私は、問題の原因を作っている「頭」を取る決心をしました。
頭が取れ、三法行(さんぽうぎょう)を繰り返すようになると、心身ともにすっかり健康を取り戻し、問題を必要とせず、何事にも動じない自分になっていました。
それまで熱心に従順にやっていた仕事が何とも合わなくなり、このよろこびを日々周囲に伝えずにおれなくなりました。周囲の人々が一人また一人と、大自然と調和した生活を送るお世話をただただ喜んでさせていただきました。
休んでいた三法行を再開でき
その後、法難の嵐の中で、活動を休止し、家族と向き合い、交流し合う生活を6年近く送りました。その間、利き腕と肩を骨折後、リハビリを兼ねて、お店に勤務しましたが、すさまじい人間関係には、身も心も疲れ果てていました。
「救済のボート」に乗るプログラムに参加できたのは、地域の方や本部の方が時折訪ねてきてくれていたことからでした。三法行をまたやりたい……と思うようになり、再開できたところから、ここまで来られました。
元気になり、人のために自分を生かせるように
体調も回復し、元気が出ると、人のために自分を生かさずにはおれない本来の姿を次第に取り戻していました。よろこび家族の和の集いなどを始めとしたお世話役を喜んでやらせていただきながら、天華みのりゆく観音合唱団や、天華食、聖茶道行の活動にも楽しく携わってきました。
一つひとつ喜んでやらせていただくうちに、出会いが変わり、次の場を用意していただいているように思えました。
超写経や三法行を実践する方も次々
「人間塾」にも入塾すると、ますます自然の法則に沿った毎日となり、「真の人間リーダー」に近付く歩みができている実感がありました。
地域の方と「超写経のすすめ教室」などを行うようになり、超写経や三法行を行う方も次々出てきています。
夫も一緒に三法行をやるように
うれしかったのは、ずっと無関心だった夫が三法行を一緒にやるようになったことです。
病気で通院するようになっていた夫は、私のいつもニコニコ笑っている姿を見て、「おまえは、どうして元気なんだ?」と聞くのです。思わず、「三法行してるものー」と言ってはやり続けていました。
法徳30日の三法行の法筆を実践してみて、本物をつかんだ夫は、正式に三法行をやるようになったのです。
「頭」を取る基本の過程も歩み、次第に病気を問題としない、明るい主人となってきました。
療養していた息子も元気に
自宅療養してた長男も一緒に三法行を繰り返すようになり、元気になってきました。こうして気がつけば、夢に描いた家族の姿になっているのです。
「家族全員が健康になったすばらしい毎日です」のおもいが一つ実現していました。
一緒に参加した超天行力天授大祭後、「超天行力を受けてどうだった……」と夫に聞くと、「よくわからないが、手が温かくなった」と、また、長男は、「わけもなく涙が出ていた」と言っていました。
これからも楽しく三法行を繰り返しながら、大自然の法則に出会った原点を忘れず、三法行を地域の皆さまにお伝えしていきたいと思います。
私のように途中、行ができなくなった全国の皆さんも、また一歩ずつ、やらせていただきましょう!