わが家は野球少年の兄、少年野球コーチの父というスポーツ一家で、私は朝から晩まで、よく外で遊び、日焼けした元気な子でした。小学校時代はドッチボールチーム、中学時代はバレーボール部に所属しました。
父が酒に溺れ、家族関係が崩れて
共働きで留守がちの母に代わり、よくチャーハンや、あんかけラーメンを作ってくれた父。その父が、年月を経るうち、仕事のストレスから酒に溺れるようになり、温かだった家族関係は次第に崩れていきました。私は父に心を閉ざすようになり、母にも心配を掛けたくない思いから、本音を言えないようになっていき、いつしか両親との対話を避けるようになっていました。
「ガラス細工のような心」と言われ
こうしてさまざまな出来事がある中で、私は成長し、やがて社会人になりました。
失恋から1年後、その傷手から立ち直れないでいたころのことでした。よろこびいっぱいの友人が声を掛けてくれたことが、大自然の法則に出会うきっかけになりました。「ガラス細工のような心だよね」「もっと自分らしく生きたら」などと友人は言いました。
すっかり悩みがなくなって
私は、元気いっぱいな友人のようになりたいおもいで、問題を作っている「頭」を取りにいきました。
人から嫌われるのが怖い自分でした。それが、「頭」を取り、気が付くと、すっかり悩みがなくなっていたのです。気持ちの切り替えが早くなって、マイナスの気持ちがなくなり、会社の同僚には、何かいいことあったの?とよく言われたものです。
けんかをしながらも両親と対話を繰り返すように
「よろこびの表現体」である人間として産声を上げることのできた私は、それまでのギャップを埋めるかのように、両親と時にけんかをしながらも対話を繰り返すようになりました。
「頭」が取れたよろこびを人に伝えたいおもいがわき、自然の法則に沿った24時間1000日を歩む過程を遠く離れた東京で歩む決心しました。出発の日の朝は、おにぎりを握って見送ってくれた母の大きさに、涙が止まりませんでした。親への感謝の気持ちが、1000日間をを歩む原動力になりました。
壁にぶつかったときにこそ大きな力を発揮できるように
三法行(さんぽうぎょう)を多くの仲間と繰り返しながら前進していると、人に流されやすい性格だったのが、いつの間にか、壁にぶつかったときにこそ大きな力を発揮できるようになっていたのです。それが今に生かされていると思います。
父に見守られ歩んでいる感じがし
地元に戻ってからしばらく、自分の悪い癖が出て、自然の法則に沿う生活ができなくなっていたときに、大きな気付きがありました。父が病であと1年しか生きられないと医師から告げられたのです。どうして頭を取らせてあげなかったんだろう、と思いました。
私は、三法行ほか、自然の法則に沿った繰り返しをしながら、いくつかのプログラムに参加しました。父の魂を救い上げることもできました。
父は亡くなりましたが、父への恩返しができ、私自身、気持ちが安定して、父に見守ってもらいながら、一歩ずつ歩ませていただいている感じがします。家の繁栄に道がついている実感もあるのです。
集いに参加、法筆を始める方も
「人間塾」の活動をしたり、またライブ活動をしたり、北海道よろこび家族の和の集いを主催したりしてきました。こうして、ご縁のあった方の中には、集いに参加し、天行力が満ち、家族愛あふれた空気を喜ばれ、共に法筆を始める方も出てきました。母も法筆をするようになり、とても穏やかに変わってきたのです。
おもいを結集して作り上げる集い
北海道の集いは、地域の皆がおもいを結集し、作り上げます。毎回ゼロからの出発。他の地域に比べてスタッフも決して多くなく、そんな中でも、皆さんそれぞれに特技や個性があり、その人それぞれが生かされていると感じます。
よろこび家族の和の集い全国合同大会で、北海道チームは皆がピエロに扮し、会場をわかせたことがありました。おもいが結集した姿を見ていただけたと思います。
天職にたどり着いて
こうして今、私は北海道地域の皆さまが、自然の法則に沿ったよろこび生活ができるお世話をさせていただけることになりました。多くの方が人生の使命をまっとうできるようにお手伝いさせていただける今、皆さまとご縁のある日を楽しみにしています。