私には、2人の姉がいます。私が末っ子の3人きょうだいですが、下の姉は交通事故で亡くなりました。長女と私は大変おとなしい性格なのですが、下の姉は私たちとは正反対にとても活発で、人見知りもせず友達も多く人気者の姉でした。
幸せの絶頂にあった姉が交通事故死
姉が19歳のとき、当時付き合っていた彼と若くして婚約し、幸せ絶頂のときでした。――私たちはそう思っていました。姉はその婚約者と、出会ったという福井県の海岸へ、姉が運転する車でドライブに出かけました。
姉の運転する車が渋滞にはまり、止まっているときに、釣り帰りの居眠り運転の車が姉の運転席の方に突っ込んできたのです。
姉はすぐに救急車で運ばれましたが、治療のかいもなく亡くなりました。
姉が運ばれた病院に到着して、案内されたのは病室ではなく、地下の安置室でした。姉の顔には白い布がかぶせてあって、その横で婚約者は泣いていました。
人が姉の事故を喜んでいるかのように思え
警察の捜査で、姉には何の非もなく、突っ込んできた車のブレーキ痕もないことから、居眠り運転で100%加害者が悪いということでした。
真面目で仕事熱心な両親。――世の中、悪いやつがいっぱいいるのに、何で私たちだけがこんな不幸な目にあうのか。神も仏もいるものか。――家は暗くなり、私は悲しみに明け暮れていました。
16歳の多感な時期でしたし、もともとおとなしかった私は、だんだん引きこもりがちになっていきました。勉強も何もかもやる気がなくなりました。学校に行っても姉の事故の事を聞かれ、近所を歩いていても姉の事故のことを聞かれ、なんだか皆が私たちのの不幸を喜んでいるみたいに思え、私は人を信用しなくなりました。
仕事もうまくいかず
そんな中、私は京都で有名な呉服店に就職することとなりました。人と接するのが苦手な私は、毎日が地獄のようでした。上司や社長からは「暗いやつ」「それでも商売人か」と言われ続け、「早く辞めたい」――そればかり考えていました。
「なんで人気者の姉が早く死んで、俺みたいなどうでもいいのが生きているのだろう?」――そんな卑屈なことを考えるようになりました。
そうして、私はありとあらゆる自己啓発の本を読んだり、幸運を呼ぶペンダントを買ったりして、すがれるものにはすがっていました。
その後、私は人と接するのが苦手なまま、呉服店を辞め、いとこが経営する建設会社に就職することになりました。
今度は土木作業ですから、客商売ではないのでうまくいくと思っていましたが、当時の私はがりがりで、一輪車も満足に運べず、皆から「足手まとい」などと言われ、呉服店に勤めていた以上に苦しい日々を送るようになりました。
ぶつけられたお前が悪い!に衝撃
そんな状態にあった当時の私が唯一の楽しみにしていたのは、本屋で自己啓発の本や宗教本を立ち読みすることでした。
そうして、ある著者の本との出会いがありました。「福永法源? 聞いたことないなあ」と思いつつ手に手にしたその本は、それまで読んだ本と何か違いました。
「天声」「大自然の法則」……と聞きなれない言葉とともに、その本の中の一節を読んだとき衝撃を受けました。
そこにはこう書いてありました。――「そこにいたお前が悪い!」
――ある青年が、車を運転し交差点に差し掛かったのですが、赤信号なので白線で止まっていたところ、後ろから相当な勢いで車がぶつかってきました。
その衝撃でその青年はむち打ち症になり、痛みが取れず、著書に面談に行ったそうです。
世の中の尺度で見れば、完全にぶつかってきた相手が悪いが、大自然の法則ではそこにいたお前が悪いというのです。
それを読んだとき、私は瞬時に姉のことを思い浮かべました。
そこに止まっていた姉が悪かったのか。……でも、なぜ人気者の姉がそこにいなくてはならなかったのだろう? 家でも明るく、結婚もひかえ、幸せ絶頂だったはずの姉。
姉の葬儀のときは、弔問客も大変多く、保育園の先生までもが事故の新聞記事を見て、もしかしたらと駆けつけてくれました。
そんな姉がまさか……。そう思うと同時に、釣りに遊びにきて居眠り運転するなんて、と加害者を許す気になれなかった私は、驚かずにはおれませんでした。
頭を取って、堂々とした自分に
本を読み進めていると、人間には頭で考える思いと、無意識にこみ上げてくる観いがあることや、人生は、人間とは何かについてなどについて書かれていました。
自然の法則を知った私は、それからしばらくして、問題を必要としない自分になるために、頭を取りました。
頭が取れた瞬間を忘れることはできません。肚の底からよろこびがこみ上げてくるのです。私は無意識に「最高!」と叫んでいました。
あんなに暗くておとなしく、いつも下ばかりを見て歩いていた私が、頭を取る過程を歩み終えてからは、堂々と正面を見て歩いていました。私は、それがうれしくてたまらず、一日中歩き回っていました。
子どもをおろして苦しんでいた姉
私はふと姉のことを思い出していました。表面上、とても明るく見えた姉も苦を刻んでいたのかな? そんなある日のこと、私は母から衝撃的な話を聞きました。
姉が亡くなり、遺品を整理していると、日記のようなものが出てきたというのです。
そこに何か変なことが書いてあるなと婚約者に問いただしたところ、事故にあう10ヶ月ほど前に、婚約者との間に子どもができてしまい堕胎したということでした。
当時は姉もまだ高校生で、親にも相談することなく勝手にそうしていたらしいのです。
その日記には、なんてことをしてしまったのだろうと後悔や、自責の念、つらく悲しい気持ちや苦しみなどがびっしり書きこまれていたそうです。
明るく見えた姉も、相当に苦(マイナス)の観いを刻んでいたことがわかりました。
三法行でマイナスを引き寄せない自分に
今も事件や事故、天災や人災に巻き込まれて亡くなる方は後を絶ちません。
いくら表面上明るく、そしてどんなに社会的地位があったとしても、マイナスの観いを刻んでいれば、そういったものを引き寄せてしまうんだなあと思ったことでした。でもその逆に、今どんな状態でも、よろこびがこみ上げプラスの観いを刻んでいれば、マイナスの現象を引き寄せなくて済むのだと、姉のことでそう思える自分に今はなれました。
それからは、亡くなった姉のためにも、毎日プラスの観(おも)いを刻むことのできる三法行(さんぽうぎょう)を繰り返し行っています。三法行の繰り返しとともに、自分を取り巻く現象がプラスに変わっているのがわかります。これからも休まず三法行を繰り返していくつもりです。