天行力とは

人間はもともとよろこびの表現体

いま、あなたは、喜びに満ちた毎日を送っていますか? あなたと、あなたを取り巻く環境に、なんの問題もない日々を過ごしていますか?

大自然に目を移してみれば、太陽は毎日、東から昇り西に沈んでいき、それをただ繰り返すことによって地上すべての生命を育んでいます。植物は春に芽を出し、夏に栄養を蓄え、秋に実をつけ、そして冬を耐えるという繰り返しの中で、動物を養い、動物は植物に肥料を与えたりし、お互いを生かし合っています。

大自然は、決して見返りを求めることなく〈ただ繰り返し他を生かす〉というリズムから成り立っており、その自然のリズムに則っているときにこそ、すべての生あるものは命の歓喜を味わうことができます

私たち人間も例外ではありません。〈ただ繰り返し他を生かす〉ことを忘れて生きていれば、せっかく大自然の一部としての「喜びの表現体」でありながら生命の観喜を味わえなくなってしまいます。それどころか、〈苦悩しなければいけない自分〉が首をもたげてきます。

物が豊かになり、人のもつ欲望もかぎりなく広がった結果なのでしょうか。自らの利益を尊重したがるあまり、現代は不平不満がたまりやすく、そのことが「ささやかな幸福感や満足感」という生命にとって大切な喜びを吹き消す結果につながっています。

まだ来てもいない将来のことを心配し、過去へのこだわりを捨て去ることもできず、お金に対する執着、恋人・子供・権力への執着など、諸々の対象を“握りしめる”ことによって、届かぬ思いに人々は今を悩んでいます。何かを失うことをいつも恐れ、それを守ろうと必死になるあまりに大きなストレスを被ることもあるでしょう。

そうして、満足すること、足ることを知らない貪欲な状態が続くと、不安、こだわり、イライラ、羨望、怒りといった苦しい感情を生み出し、自らの心身の内にマイナス波動を溜めていく結果を招きます。この世に喜々として生まれ落ちた私たち生命が本来与えられている、正常な波動であるプラス(喜び)を上回るほどのマイナス(苦)が堆積している人も少なくありません。

このように、正常ではない波動が滞留していると、その弱々しい波動に同調する出来事が起きてくることになります。寄ってくる人も、同じような波動を多くもつ人になってしまいますし、それはお金の流れにも影響をおよぼします。 この波動に引き寄せられるように、不慮の事故や災害などの現象に巻きこまれないとも言いきれません。

生命活性エネルギーの存在

私たちが生きている地球も含め、この大宇宙はすべて大いなるエネルギーによって創造されています。地球上の生きとし生けるものすべては、このエネルギーを取り入れることによって生命を維持し、活性化させています。

あなたの胸に手をあててみてください。

自らの意志とは関係なく、1分1秒休むことなく心臓が動いています。特に意識するわけでもないのに、このエネルギーによって私たちの心臓は毎日決して休むことなく鼓動を打ち続け、私たちの体内に血液を送り続けています。60兆あると言われる人間の細胞の隅々まで、くまなく血液を行き渡らせることで、生命を支えている私たちの心臓は、1日およそ10万回、生まれてから今日まで、決して休むことなくこの間隔で鼓動を打ち続けてきました。生命が誕生したときの最初の一打ちから、人生を終える最後の一打ちまで、心臓を動かしているのは、私たち人間の意志ではありませんし、この循環が止めば、私たちは生きていくことができません。

私たちの心臓は、決してその動作の代償を求めることなく、「ただ繰り返し」一定のリズムにのって、私たちを励ましてくれるかのように鼓動を打ち続けています。

自然界に満ち満ちて循環し、マクロからミクロに至るまで、すべての存在を動かしている根源的なエネルギー、それを「天行力(てんぎょうりき)」と呼びます。

天行力(てんぎょうりき)は天から地へと、すべての存在に等しく、まるで見えない雨のように降り注ぎ、循環することによって、無限のエネルギーを常に供給し、活性化させています。

そしてそれは、無償のエネルギーでもあります。

「こだわり」がなければ、悩みや問題は流れる

人間には、五官を通して外から入ってくる情報の流れを、特に強く感知せずにただ受け入れて流している部分と、意識的にいったん止めて、それを眺めて、良い悪い、美しい醜い、適切不適切、有利不利という判断をしている部分とがあります。

止めるということ、これは意識するということですが、この意識的な分別というものをよく見ると、すべて、自分の都合にもとづいた善悪、美醜、有利不利といった、いわば自己中心のものです。

それはすべて「こだわり」ですが、こだわりはさらに強いこだわりを生みます。この意識の介入があればあるほど、無意識の生命活性エネルギーの流れをさえぎってしまうことに、現代人のほとんどはなかなか気づけないでいます。

高度情報化の一途をたどる現代においてはなおさらのこと、入ってくる情報をいちいち身に振り返って裁いていたのでは、それこそ身も心ももちません。

生命というものは、今という瞬間にのみ存在し、今という瞬間は刻一刻と流れていくものである以上、常に新たな永遠の今を生きるのが生命体の真実と言えます。

本来、人間の体は、すべてをスムーズに流すことができるように、パイプのように創られています。腸も、食道も、血管も、すべてパイプです。ことに血管を流れる血液は、60兆の細胞をくまなく回ることで栄養を与え、老廃物を流し去る働きをしています。

天行力(てんぎょうりき)もまた同じことで、頭から入り、足裏までくまなく流れることで、活力を与え、正常でない波動を流し去る働きをしています。

円滑に流れてさえいれば清らかな姿を保っていられるのは、自然界の道理です。水は流れるからこそ美しいのであって、流れがとどこおればたちまち濁り、やがては腐ってしまいます。

同様に生命体は天行力(てんぎょうりき)が流れるからこそ、本来の波動を保っていられるのであって、その流れがせき止められれば、やがて正常でない波動が表れ、肉体上にも精神面にも支障をきたし始めます。それを私たちが病気と呼んでいるにすぎません。

肉体上、あるいは精神面に起こる支障のいっさいは、生命体の波動が乱れていることを教えるためのシグナルなのです。

人の悩みは千差万別で、解決するのも一筋縄ではいかないと、だれもが思うものでしょう。が、実は悩みを引き起こしている元は、ほとんどが、自分が発するマイナスのエネルギーの滞留なのです。

しかも、困ったことに、このマイナスのかたまりは、いったん滞り始めると、時間経過と共にしだいに雪だるま式に増えていきます。

もちろん生身の人間である以上、瞬間的に怒り、恐怖といった感情がわいてしまうことはあるでしょう。しかし問題なのは、こだわるクセの強い人が、そうした苦の感情をさらに喜べない材料として増大させてしまうことにあるのです。

私たちはえてして、不都合な現象を、合理的でないと決めつけてしまいます。宇宙で起きる一見なんの関係もないと思える物事が、ほんとうは互いに見えない糸でつながっているのだとは思いもしないものです。

「一事が万事につながっている」それがこの世界の真実であり、すべては「原因と結果」の法則で結ばれています。

偶然に起きる出来事など、この宇宙には一切ありません。病気にかかることにも理由があるように、事故や災難に遭うのも、負債を背負うのも、あらゆる問題はひとつのことを原因として引き起こされているにすぎません。

現代医学の盲点と、人間のしくみ

今日の常識では、薬や手術によらなければ病気は治らないものと考えますが、人間を含めた生物はすべて、病を自分自身で治す力をもともと備えています。いつからか人はこの自然治癒力を見失ってきてしまいました。

現代医学の盲点がそこにあります。

医学は科学の歩調に合わせ、たしかに進歩してきました。抗生物質の発見が多くの伝染病を消し去りました。臓器移植の技術も進み、延命の点でも効果を上げています。

しかしその一方で、人はなぜ病気になるかという根っこの部分に、医学は未だに答えることができずにいます。がん細胞がなぜ人体で突然増え始めるのか、まだ誰にも分かっていません。医学が進歩したというのに、病気のひとつを解明しても、また別の病気が現れるという繰り返しは断ち切れません。

こうした状況を見るかぎり、人知が生み出す方法で人体をどれだけ分析してみても、病気の真の原因を見つけ出すこともできなければ、完全に癒やすこともできないということが言えるでしょう。

なぜなら人間は、肉体だけで創られているわけではないからです。

人間の中には、目には見ることのできない生命体というエネルギー体があります。生物が地上で毎日の営みができるのは、この生命体が肉体の中に宿っているからこそです。肉体が滅び、そこから生命体が抜け出したときが、死を迎える瞬間となります。

病気とは、この生命体のエネルギーが正常でなくなったときに、肉体を通して起きる現象にすぎません。

エネルギーであるからには、必ず波動を刻んでいます。生命体が正常な波動を刻んでいるときには、人間の肉体はすべてが本来のままに動き、一切の病を寄せつけはしません。

ところが波動が不自然なものになると、外から侵入したウィルスは肉体にとどまり、なんらかの障害を引き起こします。正常でない波動に反応して、がん細胞が増え始めます。それらはみな、生命体の発するマイナスの波動が原因なのです。

もともとすべてが備わっている

不治とされる病が治ったというニュースが流れると、「それは奇跡だ」と扱われてしまいますが、決してそうではありません。もともとその人が持っていた力で、病気に打ち克っただけなのです。

この地上のあらゆる生物は、大自然の法則に従って、傷や病を自ら癒やし、正常な状態に回復させる力を持っています。これが、自然治癒力です。

この自然治癒力を科学的に見れば、血液の浄化システムや内分泌の循環や免疫作用です。欧米では、精神神経免疫学という脳と免疫の関係の研究が進められてきましたが、その結果、免疫中枢の働きを活性化することにより、身体の抵抗力を高めることができ、この作用は、心の状態と深く関連があることが分かっています。

五十数年前、人間の体内において自然治癒力のもととなる物質が発見され、インターフェロンと名づけられました。このインターフェロンは、ウィルスが体内に入ると、細胞内から自然に分泌され、細胞がウィルスに感染するのを防ぎ、また、がんなどの悪性腫瘍細胞を殺すリンパ球の分泌を促すという研究結果が発表されました。

しかし、このインターフェロンは科学的にはつくり出すことができません。生きた生物の細胞のみがつくり出すことのできる物質です。がんの研究で有名な某博士はこのように語っています。

「インターフェロンの誘発は、心の状態と関係が深く、心の汚い悪人や悩みのある人には出にくく、心のきれいな欲のない人にはたくさん出るというデータが出た」

この研究からも分かるように、苦しみを刻んで生きている人は病気が治りにくく、生きていることの喜びを感じている人は、難病でさえ治すことができると言えるでしょう。

動物の世界を見ても、同じようなことが言えます。野生の状態で自然の法則にそって生きている動物は、けがはしても病気にはなりません。たとえ外傷を負ったとしても、ぺろぺろ舐めて、あとは静かに治るのを待っています。動物にはよけいな悩みや憎しみはないので、自然治癒力も発揮されやすいのです。

医学がいくら進歩しても、病気は増え続け、病人の数も減るどころか増えています。ここに科学信奉の落とし穴があるのです。

結局は、本人に自然治癒力がなければ、病気やけがも治りません。手術をしたり、薬を飲んだ後は、本人の回復力に頼るしかありません。医療はあくまで補助の役目で、私たちは自分に与えられた生命への責任として、自分の持てる自己回復力を最大限に引き出すようにならなくてはなりません。

私たち人間は「生かされている」

もっと突きつめていけば、私たちがいま生きていられるのは、天行力(てんぎょうりき)を体内に取り入れているからこそと言えます。もし天行力(てんぎょうりき)がこの宇宙からなくなるようなことがあれば、人間をはじめとするあらゆる生きとし生けるものは、たちまち存在さえおぼつかなくなってしまいます。

いままで私たちが信じてきた常識観や科学とは相容れないものですから、にわかには信じがたいことかもしれません。

天行力(てんぎょうりき)という、自分以外の、外からの力によってはじめて私たちが生かされているということへの反発は、当然あるかもしれません。生きているのも自分の意志なら、幸・不幸を選んでいるのも自分なのだという自負をもつ人も、少なからずいることでしょう。

しかし人間は、本当に自分一人だけの力で生きているのでしょうか。

大自然に目を移したとき、そこにあるすべてのものは、互いが互いを支え合うという調和を保っていることを知ることができます。

太陽は休むことなく昇り、光のエネルギーを大地に、私たちに、惜しげもなく与えています。春が来れば夏が来て、秋、冬と季節は規則正しく繰り返し、大地を豊かに肥やすことで、生きる糧を私たちに与えています。

大気中の酸素、恵みの雨、生命の母なる海、惑星の公転・自転、どれひとつをとってみても、私たちには欠かすことができません。人間とてまた大自然の一部であり、その恩恵を受けなければ生きてはいけないことに、なんの変わりもありません。

考えてみれば、食物を噛んで、呑みこむところまでは意識的に行うことができますが、そこから先は、自分の身体、生命といえど、自分で意図して動かしているわけではありません。なのに、ちゃんと流れていくようになっています。白いご飯を食べたら真っ赤な血液に変わります。呼吸にしても、心臓の拍動にしても、生命の根幹を支える営みは、そのほとんどが無意識のうちに行われています。

極端に言えば、私たちは自然に放っておきさえすれば、順調に生きられるようになっているとも言えるのです。

この生命を支える、無意識の領域でなされているメカニズムの驚くべき精巧さは、最先端の科学でも、未だほとんど説明されないほどの奇跡の連続とも言えるでしょう。

自分一人だけの力で生きているとどんなに思ったところで、私たちは、大自然の調和されたリズム、法則があってはじめて生かされている存在でしかありません。生きるに必要なものは、大自然がすべて与えてくれていたのです。

ただ私たちがそのことに気づかないのは、生まれる前からあるものを当たり前と思い込み、「与えられている」とは思い至らないからなのです。

その事実を考えたとき、まだ大部分の人類が気づいていない恩恵が、この宇宙には相当あるはずです。天行力(てんぎょうりき)もそのうちのひとつかもしれません。

目に見えないからといって、否定することはできません。現代に生きる私たちは、目に見えなくともたしかに存在するものがあることを知っています。たとえば大気中を飛び交う電波を直接目にすることはなくても、テレビやラジオなどの受信機を通して、それは私たちのもとに届けられています。今となっては、電波を否定する人はだれもいません。

エネルギーを受け取れるかどうか

もともと、太陽、空気、水と同じように、無限の、無償の天からの恵みである生命活性エネルギー・天行力(てんぎょうりき)は、大宇宙・大自然に満ち満ちて流れています。

「10」ほどの天行力(てんぎょうりき)を受けて、「10」の量そのままを取り入れている自分があれば、生活には何も問題はないはずですし、心の奥底から喜びや満足感がわき、周りには調和と繁栄が現実にあるはずです。

それがたとえば「5」しか取り入れることができていないとしたら、現実の生活もそれを受けてのものになってしまいます。どれだけ汗を流して努力しても、なぜか堂々巡りを招いてしまい、ほんとうの喜びや満足感がわかない生活になってしまいます。家族や仕事、お金の問題を一つ、二つと抱えながら、なぜ、どうして、いつもこうなんだろう、と思わずつぶやく日々が続いているかもしれません。

もちろん、だれでも皆、現実の生活を見て、これではいけない、何とかしなければと思うのですが、考え方を変えたり、ためになるとされる本を読んでみても、現実の生活は変わらず、かえって理屈や計算が先に立って悩みを助長させてしまうクセは変わらないかもしれません。

このように、誰にも平等に注がれている天行力(てんぎょうりき)を、素直に受け取れる人と、それを無意識に拒否している人とがいる、これが現実と言えます。

別に特殊な能力のあるなしが、天行力(てんぎょうりき)を取り込めるか否かを決めているわけではありません。太陽の光を浴びるのに、特別な能力など要しはしないことと同様に、天行力(てんぎょうりき)を多く受け取るのに、特別な能力などいっさい必要とはしません。

ではなぜ、人によって天行力(てんぎょうりき)を受け取れる量が異なるのでしょうか。

たとえて言えば、受信アンテナと電波の関係でしょう。電波は空間にあまねく届いていますが、その周波数にアンテナを合わせないかぎり、決してその電波を取り込むことはできません。

同様に天行力(てんぎょうりき)もまた、その波動に自らの生命体の波動を合わせなければ、体内に取り込むことはできません。天行力(てんぎょうりき)のもつプラスエネルギーに波動を合わせるということは、自分の中にある不安、こだわり、イライラ、怒りといった感情から生ずるマイナス波動を少しでもなくし、そうした感情を生んでしまう生き方のクセを直していかなければなりません。

自然の法則に則した生き方をしよう

私たち人間は、他の万物となんら変わることなく、すべての根本である「天」(大自然そのもの)の意志の、ひとつの表現体と言えます。

天とは「生気」であると言っても良いでしょう。生気が形をまとい、万物となります。つまり天は、己の本質である「生気」を、万物という物質次元で表現しようと意志したのです。

この地上のどの存在も、地球に必要なものとして存在していると言われていますが、個々の存在がそれぞれのエネルギー(あるいは固有の波動)をもって、この自然界を支えています。

つまり万物は、天の意志にしたがって、世界を現象化させるためのエネルギーを産出しているのです。天は万物に生気を与えましたが、その万物はエネルギーを産出して、今度は天の生気を増強させているのです。

太古の昔、大自然と一体化した生活をしていた時代には、人は天行力(てんぎょうりき)を体いっぱいに浴び、喜びに満ちあふれていたはずです。それなのに、しだいに人間は便利さを求めて文明を発達させ、我欲を優先させる行動をとってきました。それに比例するかのように、心身には「苦」という障害物が付着し、それが堆積して、天行力(てんぎょうりき)がしだいに流れにくくなってしまったのです。

いま、喜びがわかないという生活をしている人ほど、集中的に天行力(てんぎょうりき)を受ける必要があります。喜びがわかないという状態は、不自然です。

大自然には美しく流れる調和があり、喜びの姿があります。大自然の姿は、すべて、そのままで満足している姿です。決して人間のように、こうなりたいとか、変わりたいとか、願い求めてはいません。だから、喜べて、満足しているというのが自然な状態なのです。

反対に、喜びがない、満たされない、不安である、自信がないというのは不自然な状態であり、それは本来あるべきものを受け取れていない状態と言えます。不自然な度合が強いほど、エネルギーを通さない、絶縁体になってしまうからです。皮肉にも、それと知らずに自分でエネルギーを拒否しているのが、現実の姿なのです。

変わりたい、この問題をなくしたいという願いが強い人ほど、いま問題のある人であり、天行力(てんぎょうりき)を受け取れていないことの裏返しとなります。だからこそ、問題があればあるほど、大自然の生命活性エネルギーにふれる必要があるのです。

天行力(てんぎょうりき)が体内をくまなく流れることによって、私たちはつねに、本来もっている喜びを実感し、喜びに包まれることになります。そうであれば、私たちが生きる上でのすべての物事が、同時に改善されることもまた当然のことなのです。それがもともとの、本来の姿だったからです。そうして、自分にも、生活にも、喜びの現象が出るようになるのです。

大宇宙は、人間がなにひとつ不自由なく暮らせるように、すべての人間が幸せな生涯を送れるようにと、天行力(てんぎょうりき)という慈愛のエネルギーを、私たちに降り注いでくれていたのです。

実践・天行力体験

天行力を受けるために

大自然の生命活性エネルギー「天行力(てんぎょうりき)」は、たえず天から地に向けて、生きとし生けるものすべてに等しく降り注いでいます。何の問題も必要としない、よろこびそのものの生活を送っている人は、この力を最大限に取り入れ、活かしていると言えます。

しかし、毎日の生活の中で心身の内に正常ではない波動(マイナス)を溜める割合が増えていくと、どうしてもこの力を多く取り入れ活かすことができなくなってしまいます。

天行力(てんぎょうりき)手帳】をいつも携帯し身近に持っておくことで、24時間、365日、これを媒介として、空間に満遍なく存在する天行力(てんぎょうりき)をより多く受身することができます。

おもな活用方法

■つねに携帯する
この天行力(てんぎょうりき)手帳を携帯することにより、つねに天行力(てんぎょうりき)を受身している状態になります。男性はワイシャツの胸ポケットなど、女性はポーチやハンドバッグなどに入れて携帯してください。

■寝るときは枕の下に
寝ているとき(意識が休んでいるとき)に、より多くの天行力(てんぎょうりき)を受けるために、眠りに就くときには天行力(てんぎょうりき)手帳を枕の下に入れて休んでください。

天行力(てんぎょうりき)手帳を手にされる際に、正しい使い方を詳しくお知らせいたします。

年に一度、超天行力が注ぐ日

この日は、「天行力(てんぎょうりき)を超えた天の力」(天から地へと流れる大自然の生命活性エネルギー)が年に1回注がれる日。
たとえいまどんな苦境に立たされていても、このエネルギーを集中して吸収することで、それまでに溜めてきた心身の汚れ(マイナス波動)が洗い流されることで、私たち人間にもともと備わっている「大自然のリズム(プラスの波動)」が取り戻され、家庭、仕事、人間関係など生活のあらゆる場面において、本来持つ力を発揮できるようになります。
(本イベントは天行力(てんぎょうりき)手帳を持っている方が参加できます)

※下記より告知媒体をご覧になれます。

 

天行力(てんぎょうりき)」や「年に一度の超天行力(てんぎょうりき)」に関するご質問、お問い合わせは[コチラ]からお願いいたします。