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【目次】
「密教」とは
「即身成仏」とは
大日如来の教え
「三密」とは
▶空海の悲願が、三法行で成就する。


「慈喜徳天華三法行」とは
▶人間を構成する「身」「心」「観い」
▶「観(おも)い」とは
▶観いが日々の生活に上映される
▶喜ぼうでは喜べない
▶三法行は喜びを刻む実践法
▶三法行は「ただ」繰り返す
▶「法唱」「法筆」「法座」の3つの行
▶こだわりから開放されていく自分


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「密教」とは

真言宗の宗祖、弘法大師(空海)が伝えてきたのは、密教の教えです。
「顕教」(密教以外の仏教)では、悟りに到達するまでに何代にも渡って生まれ変わり、気の遠くなるような時間を要するとしているのに対して、「密教」では、今ある肉身のままで直ちに悟りに至ることができるとしています。

「即身成仏」とは

弘法大師(空海)は、全ての人間がもともと仏と同じように、悟りの境地に達する資質を内に秘めており、修行によって本来の姿にたち返るなら、肉身のまま即時に成仏することができると説いています。これが真言密教の「即身成仏」説です。

大日如来の教え

「密教」は、法身(ほっしん)すなわち普遍的な真理である法を、そのまま人格化した大日如来の直接の説法であるとしたところにあります。

つまり、弘法大師(空海)は、釈尊の教えを超え、釈尊の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にしました。

「三密」とは

真言密教の修行を「三密」といい、修行が目指すものを「加持(かじ)」といいます。
「三密」とは、自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることであり、手は仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)によって、仏と一体になる努力をしていくことをいいます。
この修行によって授かる功徳の力と、大日如来の加護の力(加持力)が同時にはたらいて互いに応じ合う時、即身成仏が可能になると説いています。


(上記の引用元…高野山真言宗 那須波切不動尊 金乗院「弘法大師の教え」より)



空海の伝えた「三密」が「願わず」「求めず」「頼らず」 大自然の法則を体現できる として実を結ぶ!

1995年3月21日空海上人の生命体が天の救済に加わり、その記念として「あさなる天行力三法行」が示されました。
そして現在「慈喜徳天華三法行」として生まれ変わり、正に空海上人の衆生救済の観いが三法行によって成就されるときが来たのです。

「慈喜徳天華三法行」とは

人間を構成する「身」「心」「観い」

[身]「身(肉体)」があることで、私たちはあらゆる物に触れ、周囲の存在と接点をもち、あらゆる現象に関与することができます。
[心]「心」とは、頭の中での「意識の働き」です。
いわゆる思考、感情など自らの意思でコントロールできる領域で、知性と呼ぶこともできます。
[観い]心とは反対に、「無意識」とも呼ぶべき「観い」こそが私たち人間の中枢であり、身と心を統括し、司っているのです。この「観い」は、私たちの意思でコントロールできるものでは決してなく、この「観い」こそが、健康状態や生活の善し悪しはもとより、目の前に起こる現象のすべてを創り出すエネルギーなのです。

「観(おも)い」とは

では、この「観い」とは、
いったいいかなるものなのでしょうか。
私たちは、意思とは無関係に休むことなく鼓動を続ける心臓によって生かされています。この心臓が一回鼓動を打つたびに、「喜び」か「苦」が、言い換えれば「プラス」か「マイナス」の「観い」が記憶されているのです。
そして、私たちが生活の中でさまざまな事象に直面し、「これが自分の現実」であると感ずるものの正体こそが、記憶された「プラス」か「マイナス」の観いの配分により形作られたものなのです。

観いが日々の生活に上映される

宿命だと思うしかないほどの苦難の日々があったとするならば、実はこれは既に記憶された「苦の観い」が上映されたもので、逆に「喜び」が記憶されていると、明日の現実は「喜び」として映り、そうして連綿と繰り返されるものが、私たちの一生となっていくのです。

喜ぼうでは喜べない

では、喜びの「観い」を記憶させていけば幸せになれる──こう漠然と考えてみたとしても、実際にそれができないのが私たち人間の悲しい性といえます。
短絡的に「じゃあ喜べばいいんだ」ととらえ、喜ぼう、喜ぼうと努力してみたところで、所詮それは頭の中で行われている操作にすぎず、その努力は、無意識の領域である観いに影響を及ぼすまでには至りません。それどころか、喜ぼう、喜ぼうと意識では努力しても、実際には本心から喜べていないことが分かってくると、逆に気を落とすことで「苦」(マイナスの観い)を記憶することになりかねません。

三法行は喜びを刻む実践法

現に、求めれば求めるほど遠ざかる……といった経験がこれまでにいくつもあるという人がほとんどではないでしょうか。
もうお分かりだと思いますが、この、願い、求めるという行為を一切なくしたところに、初めて「喜びの観い」を記憶させていける唯一の方法が存在するのです。
私たちを形作る「身」「心」「観い」。
その中でも最も重要な「観い」を本来の喜び(プラス)として刻み込む実践法、それが「天行力三法行(てんぎょうりきさんぽうぎょう)」(以下略=三法行)です。


「三法行」は「願い、求める」気持ちは一切もつ必要がなく、生活の中で、きわめて短い時間で、ただ、ただ、無理なく行うだけで、無意識に、喜びの観い(プラス)が刻まれていきます。

三法行は「ただ」繰り返す

私たち人間が幸せを実現するためには、「観い」の刻み方を正常にする(プラスを刻む)ということが必要だということです。プラスの観いが刻まれれば、明日以降の生活にそれが現象化されていきます。人々は永きにわたってその道を求めてきましたが、自らの「観い」を変える方法を手中にすることができませんでした。
無意識の「観い」が正常になり、あたりまえに健康で、繁栄にあふれた生活を実らせる真の方法として示されたのが、「三法行」という具体的な実践法なのです。

「法唱」「法筆」「法座」の3つの行

1日のうちわずかの時間を使って、薄く書かれた「般若天行(はんにゃてんぎょう)」をただ書きなぞる「法筆」、ただ唱える「法唱」、座して自然のエネルギーを吸収しつつ深呼吸をただくり返す「法座」という3つの基本的な「行」によって構成されています。
この3つをくり返すことで、自然の波長にそった自分に近づき、不思議と、自然にプラスの観いが刻め、それは目に映る現象として、身の周りに事象として現れてくることでしょう。 形式に一切こだわらず、俗に言われるような「無心の構え」も必要とせず、頭の中にどんな雑念が起ころうとも気にせず、ただただ、繰り返してみます。

こだわりから開放されていく自分

この3つの行が自然に行え、なんとなく生活の中に溶け込んできたとき、不思議とこだわりが取れ、だんだんと身体や気持ちが楽になっていき、少しずつやる気がわいてきます。
そうなったときに、願わず求めずとも、いま目の前にある幸福を実感できるあなたが、現実に、そこにいるはずです。

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お読みいただきありがとうございました。


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